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パキスタン西北部のペシャーワルを中心とする地方をさす古名。前1世紀頃から仏教の中心地となり,クシャーン朝時代に東西交易の要地として最も繁栄した。ヘレニズム文化の影響のもと,初めて仏像を制作し,その仏教美術(ガンダーラ美術)はインド,中央アジアはもちろん,遠く中国,日本にまで影響を与えた。しかし5世紀半ばにはエフタルによって都市が破壊され,仏教の中心地としてのガンダーラは終末を迎える。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大国とはマハージャナパダmahājanapadaの訳で,マハーは〈大きい〉,ジャナパダは〈人間の居住地〉を意味する。国名は経典によって若干の相違があるが,パーリ語原始仏教経典によれば,アンガAṅga,マガダ,カーシーKāsī(カーシKāsi),コーサラ(国),バッジVajji,マッラ,チェーティCeti,バンサVaṃsa,クル,パンチャーラ,マッチャMaccha,スーラセーナSūrasena,アッサカAssaka,アバンティAvanti,ガンダーラGandhāra,カンボージャKambojaである。ガンガー(ガンジス)川流域諸国が大部分を占めたが,ガンダーラ,カンボージャなどの西北辺境地域,デカン西部のアッサカなどの国々も含まれている。…
…ただし地域や時代により少しずつ差異があり,アマラーバティーの大塔に代表される南インドでは,基壇の四方に張出しを作り5本の柱を立て,欄楯の四方に入口を造るが門はない。ガンダーラでは方形基壇が優勢となり,基壇を幾段か積み重ねたり覆鉢基部を円筒形に高くする傾向がみられ,欄楯も門もない。 スリランカのストゥーパは南インドの形式を継承しつつ,傘蓋は円錐形の相輪(そうりん)となっている。…
…石は彫刻用材として最も普遍的なものの一つであり,インド以来仏教の伝播にしたがって各地で盛んに製作された。
[インド]
紀元前2~前1世紀ころからヤクシー,ヤクシャの丸彫石像やストゥーパの石製欄楯の浮彫などが作られていたが,クシャーナ朝の2世紀ころにガンダーラとマトゥラーで仏像の造顕が始まり,石仏の製作が始まった。前者では青灰色の片岩がおもに用いられ,独尊像や仏伝図の浮彫などが作られ,遺品も多く現存する(ガンダーラ美術)。…
…また釈迦の事跡を描いた仏伝図では,菩提樹,台座,足跡,法輪その他で仏陀の存在を示唆するという不便な方法をとり,主役の仏陀を表現することはまったくなかった。この伝統を破ってはじめて仏陀の姿を表現したのは,紀元後100年ころにガンダーラ地方において,次いでマトゥラーにおいてであった。古くから守護神像を製作していたのであるから技術的に仏像を表現できなかったのではなく,なんらかの理由で製作するのを避けていたに相違ない。…
… 中央アジアからインド亜大陸への門戸ハイバル峠を西にもち,歴史上諸王朝間の争奪の地となっただけでなく,東西文化交流の上でも大きな役割を果たしてきた。前6~前5世紀ころの十六大国併存時代にはガンダーラ国としてあらわれ,前6世紀末にはダレイオス1世の侵入により,一時アケメネス朝ペルシアの属領となった。前4世紀末にはアレクサンドロス大王が侵入し,前3世紀のマウリヤ朝アショーカ王の時代に仏教が伝播,1~5世紀にはガンダーラ美術が展開し,初めて仏像がここでつくられたという多彩な古代史をもつ。…
※「ガンダーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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