20世紀前半のアメリカを代表する作曲家。貧しいユダヤ系ロシア移民の次男として9月26日ニューヨークのブルックリンに生まれる。兄はのちに作詞家として彼のパートナーとなったアイラIra(1896―1983)。16歳のころリミック音楽出版の店頭ピアニストとして働き、大衆音楽への感受性を養い、同時に歌の作曲を試みるようになる。1917年劇界に入り、18年アル・ジョルソンによって歌われた『スワニー』が大評判をとり、ブロードウェーの作曲家として認められた。軽音楽指揮者ポール・ホワイトマンPaul Whiteman(1890―1967)との交友をきっかけにピアノと管弦楽のための『ラプソディー・イン・ブルー』(1924)を作曲、芸術音楽の方面での才能も高く買われ、28年のパリ旅行ではストラビンスキー、ラベル、ミヨーらとも交友を深めた。パリでの印象をまとめた管弦楽曲『パリのアメリカ人』(1928)はこのときの作品である。30年代にはミュージカル『君がために歌わん』(1931)、オペラ『ポーギーとベス』(1935)などを発表、さらに『踊らん哉(かな)』(1937)などの映画音楽の仕事にもかかわるが、脳腫瘍(しゅよう)のため37年7月11日、38歳で急逝した。ほかに、ピアノと管弦楽のための『ヘ調の協奏曲』(1925)、ミュージカルに『ファニー・フェイス』(1927)、『ガール・クレージー』(1930)などがあり、それらのなかの歌曲はいまも生命を保っている。
[細川周平]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1898~1937
アメリカの作曲家。ニューヨークのユダヤ系ロシア移民の子に生まれ,1924年シンホニック・ジャズとして発表した「ラプソディ・イン・ブルー」で作曲家として名声を獲得。彼が作曲したオペラ「ポーギーとベス」(35年)は最初のアメリカ的オペラとして評価が高い。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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