改訂新版 世界大百科事典 「キュリロス」の意味・わかりやすい解説
キュリロス(アレクサンドリアの)
Kyrillos
生没年:?-444
アレクサンドリア主教。ネストリウスの教説を異端として弾劾するのに成功した。412年,叔父テオフィロスの後任としてアレクサンドリア主教に就任,さまざまな異端および異教との強引な闘争を推進した。430年代の終り,コンスタンティノープル主教ネストリウスが,キリストにおける神性と人性の区別を明確にするため,当時広く行われていた聖母の尊称〈テオトコス(神の母)〉を排斥したとき,キュリロスはそれにはげしく反発し,エフェソス公会議(431)においてネストリウスを異端として罷免させた。これにはコンスタンティノープル教会に対するアレクサンドリア教会の反目,神学上のアンティオキア学派(ネストリウスが属す)に対するアレクサンドリア学派の敵意といった政治的要因が優先した。キュリロスは有能な教会政治家であると同時に,すぐれた神学者として多数の著作を残したが,キリストの本性に関するややあいまいな概念はのちの単性論につながるとされる。
執筆者:森安 達也
キュリロス(エルサレムの)
Kyrillos
生没年:315ころ-386
4世紀後半に複雑な様相を呈したアリウス派論争の終結に尽力したエルサレム主教。エルサレムは伝統的にニカエア派の主教座であったが,キュリロスはアリウス派のカエサレア主教アカキオスに推されて主教になった(349ころ)。したがって当時のキリスト教世界では,アリウス派とみなされていたことになる。しかしほどなくアカキオスと対立し,3度にわたって主教職を罷免された。キュリロスは,ニカエア派の主張した父と子の〈ホモウシオス(同一実体)〉が聖書に現れないとして難色を示したが,コンスタンティノープル公会議(381)では正式にそれを受け入れた。すぐれた説教家および聖書学者として知られ,主著《カテケシス》は,洗礼志願者に対する講話の形でキリスト教の教義および典礼を述べたものであると同時に,古代教会の実情を示す貴重な史料とされている。なお本書の第2部はキュリロスの手になるものかどうか疑わしい。
執筆者:森安 達也
キュリロス
Kyrillos
生没年:826か827-869
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報