ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キュロス2世」の意味・わかりやすい解説
キュロス2世
キュロスにせい
Kyros II
[没]前530
アケメネス朝ペルシアの王 (在位前 559~530) 。キロス2世とも表記される。ペルシア名クラシュ。生年は前 590~580年とされる。初め父カンビセス1世の跡を継いでスーサを中心とするアンザン (アンシャン) の王となったが,前 550年にメディア,前 546年頃にリュディア,前 539年にカルデア (新バビロニア ) をそれぞれ滅ぼして,一部族国家から東はアジアのインド国境から西はトラキア,南はエジプト方面にまで及ぶ有史以来最大の帝国をわずか 20年間で築き上げた。彼は被征服民の宗教や法律を尊重する政策をとり,バビロンに集められていた諸地方の神々の像をそれぞれの町に返還し,不当な苦役を免除した。また大国の政治機構に経験のあるメディア人を起用し,エラム人の文化を積極的に取入れ,政治的・文化的基礎を確立し,2世紀にわたる帝国の隆盛を可能にした。このため国の内外をあげて理想的君主としてあがめられ,後世長く支配者の鑑として尊敬され,多大の影響を及ぼした。彼によってバビロンに捕われていたイスラエル民族が解放されたことは有名。前 530年カスピ海東方の遊牧民マッサゲタイ人を討伐中に戦死。パサルガダエに墓がある。
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