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キリキア
Kilikia; Cilicia
小アジア南東部の地中海沿岸を占める古代の地域名。現在のトルコ共和国の一部。東はアマヌス山脈,北と西はタウロス山脈によって区切られ,東部は肥沃な平原であるが,西部は山岳地帯。ヒッタイト,アッシリア,アケメネス朝ペルシア,セレウコス朝シリアの諸王国の支配を経て,前 57年にローマの属州となる。使徒パウロの出生地タルソスを首都とした。7世紀頃アラブ人の支配を受け,10世紀中頃ビザンチン領。その後エジプトのマムルーク朝,次いでオスマン帝国の支配を経て,第1次世界大戦後フランス領となったが,1921年よりトルコ領として回復された。
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キリキア【Cilicia】
アナトリア南東部のトロス山脈と地中海にはさまれた地域。シリシアともいう。小アジアとシリアを結ぶ戦略上の重要地点にあたり,ヒッタイト以来多くの国に支配された。アッシリア,ペルシアの支配,アレクサンドロスの東征後,セレウコス朝,ローマの支配下に入り,さらにビザンティン帝国からアラブの占領,アルメニア王国を経てマムルーク朝,オスマン帝国の支配を受けた。1919年一時フランスが占領したが,21年トルコに返還された。
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キリキア
Kilikia
小アジア南東部のキプロス島に面する海岸地方
小アジアとシリアを結ぶ要地。アケメネス朝のキュロス2世により征服され,アレクサンドロス大王はこの地方で行われたイッソスの戦いで,ダレイオス3世を破った。ローマ帝国・ビザンツ(東ローマ)帝国・イスラーム勢力などによって支配され,20世紀にトルコ領となった。
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世界大百科事典内のキリキアの言及
【チュクロバ】より
…トルコ南部,アダナ,イチェル両県にまたがりセイハンSeyhan川,ジェイハンCeyhan川のデルタによって形成された平野。古名キリキア。面積約7500km2。…
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