キリスト教民主党(読み)キリストきょうみんしゅとう

百科事典マイペディア 「キリスト教民主党」の意味・わかりやすい解説

キリスト教民主党【キリストきょうみんしゅとう】

イタリアカトリック政党。略称DC。ファシスタ政府(ファシスタ党)のもとで非合法化された人民党再建という形で1943年に結成された。1945年以来1992年までは常に与党立場にあり,中道右派ないし中道左派内閣を組織してきた。戦後最大規模の政界汚職摘発が1992年に始まり,DCや社会党などの中道政党は劇的に没落し,DCは1994年1月イタリア人民党と改称右派はキリスト教民主中道党を結成して分裂した。
→関連項目イタリアセニデ・ガスペリ

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知恵蔵 「キリスト教民主党」の解説

キリスト教民主党

ヨーロッパにおける中道右派路線の保守政党。19世紀にローマ教皇レオ13世が、当時勃興しつつあった社会主義運動に対抗して主張し始めた政治思想、キリスト教的な平等の下での民主主義理念を標榜する政党である。ドイツの保守政党を代表するキリスト教民主党(CDU)が有名。フランスでは第2次大戦後の1960年代までキリスト教政党としてフランス人民運動(MRP)が大きな影響力をもっていたが、その後政党としては退潮し、他の保守大政党に吸収されていった。オランダではキリスト教民主勢力(CGA)と呼ばれる。これらの勢力は、欧州議会では各国の保守政党の連合である「ヨーロッパ人民・民主党グループ」として一大勢力を形成している。

(渡邊啓貴 駐仏日本大使館公使 / 2007年)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「キリスト教民主党」の解説

キリスト教民主党(キリストきょうみんしゅとう)
Democrazia cristiana

イタリアのカトリック政党。1943年に人民党を再建する形で結成。45年のデ・ガスペリ内閣以来,ほぼ50年にわたり政権与党の一翼を占める。中道主義を唱え,企業経営者や地主らの支持を得る一方で,カトリック系の労働組合を支援団体とするなど,多様な社会階層の支持を集めた。90年代の汚職摘発をきっかけとする政界再編により,94年に分裂し解党した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キリスト教民主党」の解説

キリスト教民主党
キリストきょうみんしゅとう
Partito Democrazia Cristiana

1943年に結成された,イタリアのカトリック政党
ムッソリーニが1926年に解散させた人民党の後身で,45年にデ=ガスペリが首相となって組閣した。1947年以来,反共主義をとり,48年の総選挙では上・下両院で第一党となり,83年まで政権を担当した。

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世界大百科事典(旧版)内のキリスト教民主党の言及

【チリ】より

…しかし,同党はインフレの進行,1948年の共産党非合法化策などで,しだいに力を弱めていき,50年代末に至ってチリの政治勢力図は大きく変化する。自由放任資本主義経済を主張する大資本・金融資本グループや大地主など,旧来の保守的支配層(保守党,自由党),修正資本主義・混合経済を主張する中小資本の経営者,地主,公務員などの中間層(キリスト教民主党),社会主義を志向する労働者・農民層(社会党,共産党)という三大政治勢力が形成され,定着した。以後チリの政治はこれらの政治勢力の三つどもえの確執として展開した。…

【キリスト教民主主義政党】より

…ドイツ連邦共和国(旧,西ドイツ)のキリスト教民主同盟CDU(キリスト教民主・社会同盟CDU/CSU)がそうであり,同党は第2次大戦後長期にわたって政権の座にあり,1969年には社会民主党に奪われたものの,また82年にはそれを取り戻した。イタリアのキリスト教民主党Democrazia Cristianaも1945年以来90年代初めまで政権党であった。そのほかオーストリア,スイス,ベルギー,オランダなどのキリスト教民主主義政党がある。…

【ペルー】より

…しかし,アプラの方向転換は,50年代の急速な都市化に表される社会変動のなかで,新たな改革勢力としての中間層の登場と急進的な農民運動を促した。56年選挙には,ベラウンデ・テリーの率いる人民行動党(AP),キリスト教民主党(PDC),社会革新運動(MSP)がそれぞれ誕生し,国家権能の強化拡大,開発計画の導入,工業化,農地改革,民族主義といった,従来アプラ党が唱えていた諸改革の実施を目ざそうとした。この改革の流れに,それまで支配階級の〈番犬〉といわれていた軍が合流する。…

【イタリア】より

…サルデーニャ王国以来のサボイア朝は断絶し,イタリアは共和国として生まれ変わることになった。国民投票と同時に行われた制憲議会選挙では,キリスト教民主党(得票率35.2%),社会党(20.7%),共産党(19%)の3党が他の小党を圧倒し,憲法制定の作業はこの3党を中心に進められた。1年半の審議を経て,47年12月にイタリア共和国憲法は制定され,48年1月から施行された。…

【カトリック政党】より

…この傾向はカトリック政党の第3の段階になって現れてきたもので,カトリック政党が保守党という性格をもつようになって,実質的な意味での信者でないものやプロテスタント信者などもカトリック政党を支持するようになってきたからである。1980年代半ばの西ドイツのキリスト教民主・社会同盟やイタリアのキリスト教民主党Democrazia Cristianaは戦前のカトリック政党と比べてその得票率を倍増させたが,それもこのような信者でないものの支持を得たためである。カトリック政党とカトリック信者との関係も,以上の二重の意味で希薄化しているのが現状である。…

【キリスト教民主主義政党】より

…ドイツ連邦共和国(旧,西ドイツ)のキリスト教民主同盟CDU(キリスト教民主・社会同盟CDU/CSU)がそうであり,同党は第2次大戦後長期にわたって政権の座にあり,1969年には社会民主党に奪われたものの,また82年にはそれを取り戻した。イタリアのキリスト教民主党Democrazia Cristianaも1945年以来90年代初めまで政権党であった。そのほかオーストリア,スイス,ベルギー,オランダなどのキリスト教民主主義政党がある。…

【デ・ガスペリ】より

…イタリアの政治家。キリスト教民主党(DC)を創設し,1945‐53年首相を務め,戦後のイタリア政治の方向を決定した。オーストリア・ハンガリー二重帝国治下のトレンティノに生まれ,ウィーン大学で学んだのち,カトリック社会運動に参加,1911年にはトレント人民党より帝国議会に選出された。…

【メッツォジョルノ】より

…こうした状況は血縁,友人,有力者を介しての縁故関係に頼る慣行を強めており,伝統的な保護・被保護の社会関係(クリエンテリズモclientelismo)が依然として重要な機能を果たしている。政府与党のキリスト教民主党は,国家機関による介入とともに,この縁故による社会関係を基盤としながら南部における政治支配を確立しているといえる。
[南部の文化への視点]
 国家統一以来,イタリア南部は北部との比較で,遅れた,前近代的な地域とみなされ続けた。…

※「キリスト教民主党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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