キートン(読み)きーとん(英語表記)Buster Keaton

精選版 日本国語大辞典 「キートン」の意味・読み・例文・類語

キートン

(Buster Keaton バスター━) アメリカ合衆国喜劇映画俳優。サイレント映画時代に、奇抜なギャグ無表情演技一時代を画した。(一八九五‐一九六六

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デジタル大辞泉 「キートン」の意味・読み・例文・類語

キートン(Buster Keaton)

[1895~1966]米国喜劇映画俳優。無声映画時代に、決して笑顔を見せない芸とからだを使ったギャグで人気を集めた。代表作恋愛三代記」「探偵学入門」など。

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世界大百科事典 第2版 「キートン」の意味・わかりやすい解説

キートン【Buster Keaton】

1895‐1966
〈笑わぬ喜劇王〉として知られたアメリカのサイレント喜劇のスター。カンザス州生れ。3歳のときから旅回りのボードビル芸人の両親とともに舞台に立つ。赤ん坊のときに階段から落ちてもけが一つしなかったのを,一座の芸人でのちに世紀の魔術師として名をなすハリーフーディーニが見て〈バスター(やったぜ)!〉と叫んだのが,そのまま芸名になったといわれる。本名はジョゼフ・フランシス・キートン。コメディアンのでぶ君ことロスコー“ファッティ”アーバックル(1887‐1933)の相棒(助演,共同監督,ギャグマン)として,1917年から19年にかけて《デブ君の女装》を手始めに14本の短編を撮り,20年,プロデューサーのジョゼフ・スケンク(1878‐1961)の下でキートン・プロダクションを設立,22年までに《文化生活一週間(マイホーム)》《案山子(スケアクロウ)》《化物屋敷》《警官騒動》等々,スラプスティックの頂点に列せられる19本の短編を自作自演で撮る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キートン」の意味・わかりやすい解説

キートン
きーとん
Buster Keaton
(1895―1966)

アメリカの映画俳優。本名はJoseph Francis Keaton。カンザス州生まれ。ボードビルの芸人であった両親のもとで幼くして舞台に立ち、アクロバットに才能をみせた。1917年映画界に入り、ロスコー・アーバックルの喜劇に助演したのち、20年から自作自演の作品をつくり始める。『恋愛三代記』(1923)、『探偵学入門』『海底王キートン』(1924)、『セブン・チャンス』(1925)、『キートンの機関車』(1926)など、アクロバットを基本にしたスペクタクルに富むスラプスティック喜劇の傑作を送り出した。何が起こっても顔色ひとつ変えない無表情を特徴とし、チャップリン、ロイドと並ぶ三大喜劇王であった。トーキー以後は振るわず、チャップリンの『ライムライト』(1952)などにわずかに顔を出しているにすぎない。彼のサイレント喜劇は、周囲のものとの闘いであり、物に翻弄(ほんろう)されるなかで世界の秩序が完全に別の様相を帯びてみえてくるところに真価があり、没後、世界的に再評価されている。

[出口丈人]

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百科事典マイペディア 「キートン」の意味・わかりやすい解説

キートン

米国の映画俳優。本名ジョゼフ・フランシス・キートン。1917年映画界入り以来,アクロバット的なアクションと絶対に笑わぬとぼけた表情で人気を呼び,サイレント映画の大喜劇俳優となる。作品には数多くの短編のほか,《荒武者キートン》(1923年),《キートン将軍》(1926年)などがある。トーキー以後は振るわなかったが,最晩年になってチャップリンとは異なる乾いたコメディ感覚が再評価された。
→関連項目ロイド

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キートン」の意味・わかりやすい解説

キートン
Keaton, Buster

[生]1895.10.4. カンザス,ピクア
[没]1966.2.1. カリフォルニア,ウッドランドヒルズ
アメリカの喜劇俳優。本名 Joseph Francis Keaton。幼時から寄席に出演。 1917年からロスコー・アーバックルの喜劇映画に出演後,笑わない喜劇俳優としておもに無声時代に活躍した。主演作品『恋愛三代記』 (1923) ,『忍術キートン』 (1924) ,『キートン将軍』 (1927) など。『ライムライト』 (1952) では C.チャップリンと共演した。

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世界大百科事典内のキートンの言及

【イントレランス】より

…アメリカでは22週興行が続いたものの,それはグリフィスの前作《国民の創生》(1915)の44週の半分で,《国民の創生》の大ヒットによる収益をすべて注ぎこんだグリフィスは破産,19年に撮り足し分を加えて再編集した現代アメリカ編および古代バビロニア編の2編を独立作品として配給し,借金の返済に当てようとしたといわれるが,結局,その後ずっと膨大な負債をかかえこんだまま一生を終えた。なお,この映画の副題は〈いろいろな時代の愛の闘争〉で,バスター・キートンの《滑稽恋愛三代記》(1923。リバイバル公開時の邦題は《キートンの恋愛三代記》)はそのパロディとして知られる。…

【喜劇映画】より

…チャップリンは,エッサネイ,ミューチュアルと,より好条件の撮影所へ移りながら,自作自演の2巻物を撮り続け,《チャップリンの失恋》(1915)で創造した放浪者のキャラクターを生かし,どたばた喜劇の中に,ドラマ性とペーソスを盛りこむ方向へ歩み始める。当時チャップリンと人気を競ったハロルド・ロイド,バスター・キートンも,その〈個性〉においてはチャップリンにひけをとらない存在だった。ロイドの都会的な明朗さ,シャイな好青年ぶりとクライマックスで一気に噴出する行動力の鮮やかな対照,高層ビルの壁面をよじ登るそのアクロバット的な芸は,〈ロイド眼鏡〉とともに,彼のトレードマークとなった。…

【散り行く花】より

… 薄幸のヒロインを演じたリリアン・ギッシュは,1912年にグリフィス作品《見えざる敵》でデビュー以来,いわばグリフィスの子飼いのスターであったが,この映画で初めて対等の協力者として自分の解釈に基づく演技を許されたという。不幸な境遇のため笑顔を忘れたヒロインが,父親に〈笑え!〉と脅かされて指で唇に微笑のかたちをつくるシーンは,悲哀にみちた名場面として知られるが,〈笑わぬ喜劇王〉としてその無表情ぶりで有名なバスター・キートンは,《キートン西部成金》(1925)でそのパロディを演じた。36年にイギリスでリメークされる際,グリフィスは製作監修者として招かれたが撮影開始前に辞任している。…

【道化】より

…すなわち,メイエルホリドの演劇,ストラビンスキーとロシア・バレエ団(バレエ・リュッス),ピカソやルオーの絵画などである。 第1次大戦後に現れた新しい道化としては,チャップリンやキートンなど無声映画の喜劇俳優をあげなければならない。道化の古来の武器の一つであった身体言語が,新しいメディアによってめざましくよみがえったのである。…

※「キートン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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