ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギリシア=トルコ戦争」の意味・わかりやすい解説
ギリシア=トルコ戦争
ギリシア=トルコせんそう
Greco-Turkish War
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ギリシア・トルコ間に戦われた戦争(1919~1922)。第一次世界大戦に際し、ベニゼロスの指導下で戦勝国に列したギリシア軍は、ビザンティン帝国の復興をもくろむ念願の「大ギリシア主義」を達成すべく、パリ講和会議の議定中にイギリスの支持を受けて、1919年5月小アジアのトルコのイズミルに上陸、占領した。しかし、トルコ側には、第一次大戦の敗戦の混乱のなかから救国の士ケマル・アタチュルク(ケマル・パシャ)が現れ、トルコ国民党を率いて、セーブル条約によってギリシアに奪われた土地から敵軍を追放した(1922)。またスルタン制を廃し、ここにオスマン朝は滅んだ。トルコの勝利により、1922年11月から翌年7月のローザンヌ会議、同条約によってセーブル条約は廃された。
[豊田和二]
第一次世界大戦で戦勝国となったギリシアは,メガリ・イデア(大ギリシア主義)にもとづく領土拡張のため,1919年アナトリアの港市イズミルに出兵し,内陸に進軍した。ここにケマル・パシャのトルコ軍との間に戦端が開かれ,ギリシア‐トルコ戦争となった。戦いは22年ギリシアの敗北で終わり,約150万人のギリシア系住民が難民としてギリシアや周辺諸国へ逃れた。イズミルはトルコに帰属し,古代から続いてきたアナトリアのギリシア世界はほぼ消滅した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…戦勝国となったギリシアはヌイイー,セーブル両条約でトラキア,エーゲ海諸島の一部を得,アナトリアのイズミルの管理を約された。しかし,続くイズミル出兵ではケマル・アタチュルクの率いるトルコ国民軍の抗戦に会い,ギリシア・トルコ戦争(1919‐22)となって敗北を喫し,23年のローザンヌ条約でイズミルと東トラキアを失った。ここにいたって大ギリシア主義は放棄され,その要因を断ち切るべく大幅な住民交換が行われた。…
※「ギリシア=トルコ戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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