クトゥーゾフ(英語表記)Mikhail Illarionovich Golenishchev-Kutuzov

改訂新版 世界大百科事典 「クトゥーゾフ」の意味・わかりやすい解説

クトゥーゾフ
Mikhail Illarionovich Golenishchev-Kutuzov
生没年:1745-1813

ロシア軍人エカチェリナ2世のポーランド干渉出兵に従軍,1770年の露土戦争の際,右眼を失った。その後,ナポレオン戦争,露土戦争に参加,機動作戦を展開し殊勲をたてた。とくに1812年のナポレオン軍を迎え撃った際は,総司令官として退却戦術をとり,モスクワ焦土と化しながら,結局,最後の勝利をもたらし,その見識は高く評価されている。彼はまた,大使総督として政治,外交面でも活躍した。民衆には広く人気があったが,アレクサンドル1世からは,それほど好感を持たれなかったようである。〈栄光のスモレンスク公〉の異称がある。
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旺文社世界史事典 三訂版 「クトゥーゾフ」の解説

クトゥーゾフ
Mikhail Illarionovich Kutuzov

1745〜1813
ロシアの軍人
第1次露土(ロシア−トルコ)戦争に参加し,右眼を失った。1812年の対ナポレオン戦争で総司令官となり,ボロディノの戦いに敗れたが,フランス軍のモスクワ退却を追撃し,ロシアに勝利をもたらし,ナポレオン没落の契機とした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クトゥーゾフ」の解説

クトゥーゾフ
Mikhail Illarionovich Golenishchev-Kutuzov

1745~1813

ロシアの将軍。1812年,対ナポレオン戦争の総司令官となり,ボロディノの戦いののち,モスクワを明け渡して撤退した。ナポレオン軍の消耗を待って,追撃して破った。

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世界大百科事典(旧版)内のクトゥーゾフの言及

【モスクワ遠征】より

…フランス軍は8月にスモレンスク,9月にボロジノの戦を経て,9月14日,モスクワを占拠した。 その間,バルクライ・デ・トリーに代わって総司令官に就任したM.I.クトゥーゾフは決戦を避け,兵力を温存して敵軍の消耗を待つことを根本方針とした。これによって遠征軍は物質的,精神的に致命的な打撃をこうむった。…

※「クトゥーゾフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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