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デジタル大辞泉
「クリンガー」の意味・読み・例文・類語
クリンガー(Friedrich Maximilian von Klinger)
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クリンガー
Klinger, Max
[生]1857.2.18. ライプチヒ
[没]1920.7.5. ナウムブルク近郊グロースイエナ
ドイツの版画家,画家,彫刻家。カルルスルーエおよびベルリンで学ぶ。 1878年ベルリンのアカデミーに出品したペン画『手袋』の連作の怪奇性が物議をかもした。 83~86年パリ,88~93年イタリアを旅行。 93年以後ライプチヒに定住。 94年ベルリン・アカデミー会員。理想主義と自然主義の中間的な画風で人間の無気味な内的世界を表現する銅版画の連作は,質量ともに秀でている。 86年以後は絵画と彫刻に転じ,彫刻では多色大理石,青銅,琥珀,象牙などを用いた作品を制作。大作『ベートーベン坐像』 (1902) が有名。著書『彩画と素描』 Malerei und Zeichnung (1891) 。
クリンガー
Klinger, Friedrich Maximilian von
[生]1752.2.17. フランクフルト
[没]1831.2.25. タルトゥ
ドイツの小説家,劇作家。若きゲーテの援助でギーセン大学に学ぶ。ゲーテを中心として 1770年代に爆発した反啓蒙主義的な文学運動「シュトゥルム・ウント・ドラング」の呼称は,彼の情熱的な戯曲 ("Sturm und Drang"1776) からとられた。のち軍人となりロシア陸軍の中将となった。
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クリンガー【Friedrich Maximilian Klinger】
1752‐1831
ドイツの〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の劇作家。ゲーテの《ゲッツ》にならった《オットー》(1775),ルソーとシェークスピアの影響の下に天才の情熱と自由への渇望をえがく《双生児》や《シュトゥルム・ウント・ドラング》(ともに1776)などがあるが,ロシアにおもむいた後の小説《ファウストの生涯と行動と地獄落ち》(1791)では,天才主義から離れ,古典主義的教養思想への接近を示している。【長屋 代蔵】
クリンガー【Max Klinger】
1857‐1920
ドイツの画家,版画家,彫刻家。ライプチヒに生まれる。古典的主題の絵画やベートーベン像などの彫刻は,19世紀末ドイツの理想主義的な面を表している。しかし最近の評価は,《手袋》をはじめ,《イブと未来》《ドラマ》《死について》など連続形式の版画に向けられており,そこには近代生活の深層がリアルな物語的進行のなかに形象化されている。キリコ,コルビッツ,クビーンなどに大きな影響を与えた。【土肥 美夫】
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世界大百科事典内のクリンガーの言及
【ドイツ美術】より
…様式的には古典主義,ネオ・バロック,リアリズムと変遷しながらも,主題の点では19世紀を通じて記念碑や人物の肖像および墓碑が一般に好んで取り上げられた。ダンネッカーJohann Heinrich von Dannecker(1758‐1841)の《シラー胸像》(1805‐10)やシャドウGottfried Schadow(1764‐1850)の《マルク辺境伯の墓碑》(1788‐91),ラウフChristian Rauch(1777‐1857)の《フリードリヒ大王》(1839‐51),画家としても知られるクリンガーの《ベートーベン像》(1899‐1903)らにこれをみることができる。19世紀中葉ミケランジェロやベルニーニの作品から感化を受けたベガスReinhold Begas(1831‐1911)が出たのちは,ヒルデブラントが再び厳格な古典主義の作風を確立して,ミュンヘンを中心に後世へ根強い影響を与えた。…
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