百科事典マイペディア 「クレメンス[7世]」の意味・わかりやすい解説
クレメンス[7世]【クレメンス】
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…これは教皇座がアビニョンからローマに帰還した直後に起こった。ローマで選ばれたイタリア人ウルバヌス6世Urbanus VIに対しフランス人枢機卿たちがその選挙を無効としてフランス人クレメンス7世Clemens VIIを立て,再びアビニョンに教皇座を置いた。たびたびの軍事行動をも伴った双方の教皇たちのこの対立は各国の政治的利害が複雑に絡み合って深刻化し,これを解決しようとした1409年のピサ教会会議はアレクサンデル5世Alexander Vを新教皇に選んだ。…
…なおこのジュリオの尽力でフランス王家に嫁ぎ,妃となったカトリーヌ・ド・メディシスと,後代,アンリ4世妃となったマリアという,2人のフランス王妃をメディチ家は出している。ジュリオがクレメンス7世として教皇位に就くと,ロレンツォの子アレッサンドロAlessandro de’ M.に家督が譲られる。暴君で残忍な彼は,27年市を放逐されるが,またもやカール5世の後押しで復帰し,32年フィレンツェ公に叙される。…
※「クレメンス[7世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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