ドイツの詩人。プロイセンのクベドリンブルクに生まれ、イエナとライプツィヒの両大学で神学を学んだ。文学雑誌『ブレーメン寄稿』に参加して、1748年宗教的な大叙事詩『救世主(メシーアス)』の第3歌までを発表し、世の熱狂的な賞賛を博した。それは当時のドイツ文学において支配的だった啓蒙(けいもう)思想やフランス風の詩法に対する、音楽的、感傷主義的、敬虔(けいけん)主義的な感情の高揚であり、革新であった。彼は古代ギリシアの詩形をドイツ語の抑揚のなかへ移し変え、語法を大胆に改革して数々のオーデ(頌歌(しょうか))をつくり、さらに進んで『春の祝い』(1759)を頂点とする自由律の頌歌の創造に成功し、ドイツ近代文学における最初の国民詩人の地位を占めた。その文学的成功と安楽な生活は、その後の彼からかえって成長の意欲を奪い、『救世主』の続稿も価値高いものとはいえない。しかし古代との遭遇(そうぐう)や、感受力の強烈さという点だけでも、ゲーテ、ミラーの詩的出発は、クロプシュトックなしには考えられないし、とくにヘルダーリンが詩法的、感情的に彼に負うところは大きかった。彼はこうしてドイツ近代詩の祖とともに、その影響は遠くリルケにまで及んでいる。
[生野幸吉]
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…18世紀中期までのデンマーク文学は概してフランス的,次いでイギリス的色彩を帯びていったと言えよう。これに対して,ドイツ敬虔主義詩人クロプシュトックが国王に招かれて約20年間(1751‐70)コペンハーゲンに滞在したことは,その後のデンマーク文学をドイツの模倣へと向かわせた。この変換の過渡期となる18世紀後半を代表する文人にエーバルJohannes Ewald(1743‐81)がおり,彼はフランス古典主義の作法に従いながらも,クロプシュトックからの示唆を受けて,古代北欧悲劇を書いた(1773年作《バルドルの死》はデンマーク文学初の本格的歌劇)。…
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[自然への帰依と合理性]
18世紀にはいり,宗教の束縛がゆるむにともなって,一方では合理的な思惟による生活規範の見直しが行われ,他方では自由な感情の飛翔による自然への帰依が生ずる。教訓的な寓話は前者を,田園詩は後者を表現するジャンルとして好んで用いられるが,クロプシュトックが古代ギリシアの無韻の詩形式をドイツ詩に移植することに成功し,それ以後は,抒情詩自体が自然の息吹を直接表現しうるものとして尊重された。演劇は,ゴットシェートがイエズス会演劇の宗教色をぬぐいさる浄化運動を起こして以来,合理的な思想の表現に適するものと考えられていたが,レッシングはさらに劇場こそ〈精神界の学校〉と主張し,市民劇によって時代の問題を明示するところまで進んだ。…
※「クロプシュトック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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