百科事典マイペディア 「グリジ」の意味・わかりやすい解説
グリジ
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イタリアのバレリーナ。北イタリアの小村ビシナダに生まれる。テオフィル・ゴーチエ台本、ジュール・ペロー振付けのロマンチック・バレエの名作『ジゼル』の主役を初演(1841)したほか、『ラ・ペリ』『エスメラルダ』などを踊り、同時代のタリオーニとともに天上的な妖精(ようせい)を得意とした。のち、ペローと結婚したが、生活をともにしたのは約5年間であった。ゴーチエは彼女を終生愛し、夏にはジュネーブのグリジ邸に一家をあげて滞在したという。
[市川 雅]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…恋した王子アルブレヒトの裏切りにみずからの命を絶つ村娘ジゼルの悲恋を描いたもの。グリジのジゼル初演後,42年ペチパが改訂,ロシアをはじめ世界各地で公演された。パブロバ,ウラノワ,フォンテインなど多くのバレリーナがジゼルで盛名をはせた。…
…タリオーニと覇を競った舞姫はF.エルスラーで,前者が清純なおとめの役柄を得意としたのに反して,彼女は自由奔放な肉感的な踊りによって人気があった。さらに,最古のバレエの一つとして今日まで伝承される《ジゼル》(1841)を踊ったC.グリジがおり,これら三大舞姫がせり合って,19世紀前半はバレエの輝かしい全盛時代であった。それには詩人のゴーティエがあずかって力あったことも忘れてはならない。…
…種々の劇場で踊ったのち,1830年オペラ座でデビューする。のち世界各地で踊るが,ナポリで当時14歳のグリジを発見し,彼女を世に出すことを生き甲斐とし,その教育に努め,41年,パリのオペラ座において《ジゼル》の主役を踊らせることに成功する。その後ロンドン,ペテルブルグなどで振付をし,ことに後者においてはロシア・バレエの発展に大きく寄与した。…
※「グリジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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