改訂新版 世界大百科事典 「グルカ戦争」の意味・わかりやすい解説
グルカ戦争 (グルカせんそう)
ネパールとイギリス東インド会社との間の戦争(1814-16)。ネパール戦争ともいう。1768年のグルカGurkhā(ゴルカ)王朝の創設以後もネパールは軍事的拡大を続け,50年足らずの間に北はチベットに侵入,チベット,清と兵を交え,東はシッキムに力を伸ばし,西はカシミールと境を接し,南は北インド平原北部(タライ)に進出するにいたり,さらにイギリス植民地軍との対決を予期してインドの土着勢力や清との提携も試みていた。
一方,イギリス側は植民地の拡大を続けていたが,マラータ戦争,シクヘの警戒,さらにはナポレオン戦争などのため,しばらくはネパールを攻める余裕をもたなかった。チベット交易のルート入手を目的としたネパールとの通商条約持続の希望も軍事行動を抑制する一因となっていた。しかし1814年,シェオラージ,ブトワル地域に関しての国境紛争を契機に戦端が開かれた。イギリス軍(1万6000人)は勇猛なグルカ軍との山地戦に苦戦したが,オクタローニー将軍が最西部で勝利をおさめ,カリ川(現,ネパール西部国境)以西を割譲させた。戦争が雨季で中断した後,16年乾季にオクタローニーがカトマンズに向かったが,首都侵攻直前にネパール側から講和が申し入れられた。そして結局,カトマンズへのイギリス駐在官の常駐,カリ川以西,タライの係争地域,およびネパールが占領したシッキムの土地のイギリス側への割譲を骨子とした講和条約が結ばれ終結をみた。
執筆者:石井 溥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報