もともと中央ネパールのゴルカ王朝からきたことばで、1768年にゴルカ王朝がネワール人のマッラ朝を倒して現ネパール王国を創建して以来、広義にはすべてのネパール人Nepalisをさす。狭義にはネパール山地のヒンドゥー教徒のいくつかの民族集団をさす。もとはインド中部にいたが、14世紀ごろイスラム教徒の侵攻で北に移動してネパールに入った。現在でもヒンドゥー教とカースト制などインド文化の影響を強く残している。また、ネワール人Newarはカトマンズ盆地の山地民族で、ネパール人の一部を構成する民族集団の一つ。
古くから好戦的で勇猛な民族であったが、グルカが一躍有名になったのは1857年のインドの大反乱(セポイの反乱)で、イギリス軍に加わってインド軍と戦い輝かしい戦果をあげてからである。その後も第一次世界大戦にイギリス軍の傭兵(ようへい)として名をあげ、大戦や内戦のたびに世界各地に出兵して戦った。1947年のインド分割に伴ってグルカ兵の連隊は極東駐在のイギリス軍とインド軍とに分かれたが、軍隊を志願する者は後を絶たず、グルカ人を含めたすべてのネパール人兵士はグルカ兵とよばれ、勇猛果敢な兵士として国際的な名声を得た。1982年のフォークランド紛争にもイギリス軍の一員として数百人のグルカ兵が出兵した。ネパールには数多くの元グルカ兵の退役軍人がおり、軍隊の年金で暮らしている。
[片多 順]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
正しくはゴルカ。ネパール語を母語とするヒンドゥー教徒を中心に,周辺のエスニック・グループが加わってつくりあげられた政治・軍事勢力。1769年カトマンドゥのマッラ王朝を滅ぼして,ネパール王国(シャハ〈グルカ〉王朝)を立てた。西はクマオン,ガルワール,シムラー,北はチベット,東はシッキム,南はタライに勢力を伸ばしたが,グルカ戦争で敗れ,イギリスの保護国となった。グルカはインド軍の傭兵の主要供給源の一つであり,彼らは「グルカ兵」と呼ばれ,勇猛なことで知られた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
アデノウイルスの感染により、発熱、のどのはれと痛み、結膜炎の症状を呈する伝染性の病気。感染症予防法の5類感染症の一。学童がプールで感染して集団発生するのでプール熱ともいう。...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新