現在,世界中のほとんどの国で用いられている太陽暦。西暦年数が4で割り切れる年を閏(うるう)年とするが,100で割り切れる年は100で割った商をさらに4で割って割り切れる年のみを閏年とするというものである。400年につき,1年365日の平年が303年,1年366日の閏年が97年であるから,1年の平均日数は365.2425日となる。1年の長さ(1太陽年)は,理論的には,
365.24219878日-6.14日×10⁻6×T
で与えられる。Tの単位は100年と考えて差し支えない。この式は1900年1月0日に基づいているが,1年の長さが少しずつ短くなるため,グレゴリオ暦との差は少しずつ大きくなる。その差は,1900年から2621年で1日をこえ,1万年では6日ばかり違ってくる計算になる。
この暦法は,ローマ教皇グレゴリウス13世が復活祭の季節を一定の範囲におさめることを目的にして定めたのでグレゴリオ暦の名がある。復活祭は春分後に起こる最初の満月のあとの日曜日で,3月21日を春分の日とすると325年のニカエア公会議で決められていたが,当時施行されていたユリウス暦では16世紀中ごろに春分は3月11日ころになっていた。そこで1577年グレゴリウス13世は改暦委員会を組織した。改暦案を立案したのはペルージア大学の医学講師アロイシウス・リリウスAloisius Lilius(イタリア名Luigi Lilio。1510ころ-76ころ)とその弟アントニウスである。委員会はこの案を承認し,各地の領主,大司教,大学などの意見を求め改暦案を決定した。82年2月24日に教皇の教書によって改暦案は発表され,〈ユリウス暦の1582年10月4日(木曜)の翌日をグレゴリオ暦の10月15日(金曜)とする〉ことによって実施された。しかし複雑な国際関係,宗教的な対立もあって,全世界的に施行されるまでには300年以上かかっている。同時に実施したのはイタリア,ポーランド,ポルトガル,スペインくらいで,少し遅れて同年のうちにフランス,ベルギーが,そしてドイツやネーデルラントではカトリックの州は82年から83年にかけて実施したが,プロテスタントの州は1700-01年に行った。ハンガリーは1587年,スイスは州によって違い1583年から1912年までの幅があった。チェコスロバキアは1584年,デンマークは1700年,イギリスは52年,スウェーデン,フィンランドは53年で,日本は1873年,中国は1912年,ソ連は18年,ギリシア,ルーマニアは24年,トルコは27年に実施した。日本のように1月1日から実施した国は少なく,ほとんどの国は年の途中から改暦を行っている。
執筆者:内田 正男
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世界の大半の国で用いられている暦法で,一般に太陽暦とはこの暦法をさす。1582年にローマ教皇グレゴリウス13世によって,ユリウス暦を修正して公布された。日本では1873年(明治6)から実施。1年を365.2425日とし,そのために4年に1回閏日をおき,400年間に3回それを省略する。すなわち西暦が100で割り切れる年を平年とするが,400の倍数の年は閏年とする。
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…しかし,もっとも知られる業績は,すでに紀元前から用いられていたユリウス暦を改正したことで,82年10月4日(木)の翌日を10月15日(金)とすることによって週の周期を崩すことなく10日を省き,以後はユリウス暦のように紀元年数が4で割り切れる年をみな閏(うるう)年にするのではなく,100で割り切れる年は上2桁が4で割り切れる年だけを閏年にすることにした。これがグレゴリオ暦と呼ばれる,現在世界中でもっとも広く用いられている暦である。また彼は85年にローマに到着した日本からの天正遣欧使節を歓迎した教皇でもある。…
… 私たち人間は季節の周期である1太陽年に準拠して生活するのが自然であり,太陽暦を用いることが望ましい。現に世界で共通して使われているのはグレゴリオ暦という名の太陽暦である。もっとも古い太陽暦として知られているエジプト暦では1年の長さを365日としていた。…
※「グレゴリオ暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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