精選版 日本国語大辞典 「コソボ」の意味・読み・例文・類語
コソボ
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ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する共和国。正式名称はコソボ共和国。セルビア、モンテネグロ、アルバニア、北マケドニア共和国と国境を接する。長くセルビア共和国南部の一自治州であったが、2008年に独立を宣言した。面積1万0887平方キロメートル、人口約190万(2002年推計)、212万(2008年推計)。首都はプリシュティナ。政体は共和制、元首は大統領、議会は一院制。流通通貨はユーロ。住民は、アルバニア人が92%を占め、ほかにセルビア系5%、その他(スラブ系ムスリム、ロマ、トルコ系など)3%から構成される。旧ユーゴスラビア時代から開発の遅れた地域で、後進地域の開発基金が導入されて、社会主義時代にかなりの改善はみられた。そのため従来の圧倒的な農耕社会のなかに工場が建ち並び、近代的なアパートも出現した。とくに首都プリシュティナには大学図書館などモダンな建物が多い。
中世以来の伝統をもつ鉱業は依然、コソボの重要な産業で、鉛、銀、錫(すず)などのほか、大量の褐炭を産する。後者を利用した火力発電所、化学、木材、金属、電気、織物の工場、あるいは伝統的な金銀細工や製靴の家内工業もみられる。農業では小麦を筆頭に、タマネギ、ライ麦、大麦、エンバク、テンサイ(サトウダイコン)、ジャガイモ、インゲン豆、タバコ、麻などを栽培し、果樹園やブドウ園も拡大されつつある。また畜産にも力を入れている。
[田村 律]
長い間ビザンティン帝国の支配下に置かれていたが、12世紀にセルビアが占拠し、後に王国が成立するとその舞台となり、中世の黄金時代を築いた。それには各地の鉱山(トレプチャTrepčaの亜鉛やノボ・ブルドNovo Brdoの銀)が重要な役を演じた。1389年、コソボ平原でオスマン・トルコ軍とセルビアを中核とするバルカン連合軍との戦い(コソボの戦い)に敗れ、トルコのバルカン進出が決定的となった。コソボに居住していたセルビア人は、主として宗教的な理由から、17~18世紀にかけ、ドナウ川を越えて北上し、ハプスブルク帝国支配下のボイボディナ地方に移住した。過疎化したコソボにはアルバニア人が移住し、このためコソボには多くのアルバニア人が居住するという現代の民族構成が生じたのである。1912~1913年の第一次バルカン戦争の結果、セルビアに編入されたが、開発は遅れ、農業を主とした最貧地域で、住民の大半は非識字者であった。
第二次世界大戦後の1945年、旧ユーゴスラビアを構成するセルビア共和国のコソボ・メトヒアKosovo i Metohija自治区(1963年に自治州)となり、改善が進んだ。しかし旧ユーゴの解体を経て新ユーゴスラビアとなっても最後進地であることに変わりはなかった。ここからアルバニア系住民の不平不満が爆発し、いわゆる「コソボ紛争」が発生し、しばしば流血の惨事に至ったのである。1990年アルバニア系住民は独立を宣言し、その後、独自の議会をもち独自の大統領を選出しているが、セルビアはこれを認めず、一触即発の危機をはらみ、一種の厳戒体制下にあった。1998年2月に両者の武力衝突が激化し国際問題化したため、1999年、米ロ英仏独伊による調停工作が行われた。しかしセルビア側の拒否をきっかけに1999年3月NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)軍によるユーゴ全土への航空爆撃が始まった。1999年6月ユーゴ側が和平案を受諾したことによりNATOは空爆を停止したが、逆にコソボのアルバニア系住民が大量に難民となるなど泥沼の状況を呈し、国際社会に大きな動揺をもたらした。
ミロシェビッチ政権の崩壊後、2001年に自治州議会選挙が行われ、コソボ暫定自治政府が立ち上げられたが、1999年以来コソボは国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の暫定統治下にある。さらに、2004年3月にはアルバニア系勢力による大規模な暴動が発生、セルビア人施設などへの破壊活動が行われ、死者19名、負傷者954名、3600名以上の非アルバニア系住民が避難民となるなど、衝突は続いている。なお、空爆で使用された劣化ウラン弾によるとみられる被害(白血病や癌(がん)などを発症する健康被害)が「バルカン症候群」とよばれ問題となっている。2005年、国連安保理が関係当事者によるコソボの地位交渉の開始を決定した。
[田村 律]
国連の暫定統治下におかれたコソボ自治州であったが、2008年2月17日コソボ議会がコソボ共和国として独立宣言を採択、アメリカやEU諸国が独立を認め、日本も同年3月コソボ共和国を国家として承認した。なお、セルビアはコソボの独立を承認していない。
[編集部]
『柴宜弘編『バルカン史』(1988・山川出版社)』▽『千田善著『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか――悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任』(1999・勁草書房)』▽『梅本浩志著『ユーゴ動乱1999――バルカンの地鳴り』(1999・社会評論社)』▽『町田幸彦著『コソボ紛争――冷戦後の国際秩序の危機』(1999・岩波ブックレット)』▽『岩田昌征著『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』(1999・御茶の水書房)』▽『中津孝司著『南東ヨーロッパ社会の経済再建――バルカン紛争を超えて』(2000・日本経済評論社)』▽『長倉洋海著 写真集『コソボの少年』(2000・偕成社)』▽『ペーター・ハントケ著、元吉瑞枝訳『空爆下のユーゴスラビアで――涙の下から問いかける』(2001・同学社)』▽『百瀬宏・今井淳子・柴理子・高橋和著『国際ベーシックシリーズ5 東欧』(2001・自由国民社)』▽『大石芳野著『コソボ破壊の果てに 大石芳野写真集』(2002・講談社)』▽『千田善著『ユーゴ紛争――多民族・モザイク国家の悲劇』(講談社現代新書)』▽『柴宜弘著『ユーゴスラヴィア現代史』(岩波新書)』
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