古代ローマ人の建設した植民市。ギリシア人のアポイキアが母市に依存しない独立した新しい市民権をつくりだすのに比べて、ローマ人のコロニアでは一定数のローマ市民が移住し、ローマ国家に依存したままローマ市に倣った共同体として定住する形態をとっている。紀元前4世紀ごろ、オスティアやアンティウムに市民屯田兵を入植させたのに始まり、その後、被征服地の都市領域の大半を占領して植民市が建設され、ローマの支配と文化の浸透の拠点をなした。元来はローマ市民植民市とラテン人植民市とに分かれ、前者はその住民が完全なローマ市民権を有したが、後者の住民は通商権と婚姻権が認められただけで、完全な市民権にあずかれなかった。やがて両者は外的、内的構成において事実上徐々に同化していった。法的地位の差異をとどめながらも、帝政期になると、コロニアは名誉称号的性格を強め、都市制度上の格づけにおいて最上位を意味するようになった。
[本村凌二]
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ウルグアイ南西部,同名県の県都。人口1万9077(1985)。1680年にポルトガル人がノーボ・コロニア・ド・サクラメントの名で建設して以来,スペインとポルトガルが激しい争奪戦を演じ,1777年スペイン領と確定した。ラ・プラタ河口に面し,植民地時代からブエノス・アイレス市とモンテビデオ市を結ぶ中継貿易で栄えたが,近年は軽工業も発展。国内最古の都市で植民地時代の面影を伝える建物も少なくない。
執筆者:松下 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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