コロンタイ
(Aljeksandra Mihajlovna Kollontaj アレクサンドラ=ミハイロブナ━)
ソ連の女流政治家。革命運動に
参加。十月革命後国家保護人民委員となり、のち
ノルウェー、
スウェーデンなどの
大使を務めた。性問題を取り上げた
小説「赤い恋」の
ほか、
婦人・労働問題の
著作が多い。(
一八七二‐一九五二)
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デジタル大辞泉
「コロンタイ」の意味・読み・例文・類語
コロンタイ(Aleksandra Mikhaylovna Kollontay)
[1872~1952]ソ連の女流政治家・作家。十月革命後、福祉人民委員・党婦人部長などの要職につき、各国大使を歴任。性の自由を説いた小説「赤い花」のほか、婦人問題についての著作も多い。
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コロンタイ
ころんたい
Александра Михайловна Коллонтай/Aleksandra Mihaylovna Kollontay
(1872―1952)
ロシアの女性運動家、作家、外交官。ロシア帝国陸軍の将軍の娘として生まれるが、革命運動に関心を寄せ、離婚してスイスに留学。チューリヒ大学卒業後、社会民主党に入って活躍し、1915年ボリシェビキ派(共産党)に転じ、革命後、福祉人民委員、党婦人部長などの要職につき、1923年から世界最初の女性大使としてノルウェー、メキシコ、スウェーデンに駐在した。数か国語に精通した雄弁家として人気を博し、多くの著作を発表して女性解放運動の理念と実践に足跡を残している。「赤い恋」(原題「ワシリーサ・マルイギナ」)「三代の恋」「姉妹」からなる小説集『働き蜂(ばち)の恋』(1923)や、長編小説『偉大な恋』(1927)を通して、「性的欲望や恋愛の満足は、一杯の水を飲むようなものだ」といって性の自由を説く「水一杯理論」が、俗に「コロンタイズム」とよばれて世界に広まった。野上弥生子(やえこ)の『真知子(まちこ)』で知られるように、日本でも昭和初期の左翼運動のなかで「赤い恋」のことばが流行した。
[中本信幸]
『高山旭訳『働き蜂の恋』(1969・現代思潮社)』▽『A・M・イトキナ著、中山一郎訳『革命家・雄弁家・外交官 ロシア革命に生きたコロンタイ』(1971・大月書店)』▽『杉山秀子著『コロンタイと日本』(2001・新樹社)』
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コロンタイ
Kollontai, Aleksandra Mikhailovna
[生]1872.3.31. ペテルブルグ
[没]1952.3.9. モスクワ
ソ連の女性革命家,外交官。帝政ロシアの将軍ドモントビッチの娘。 1896年ペテルブルグ繊維労働者のストライキに感動し,98年社会民主党に入党。 99年労働運動を学ぶため渡英。 1906年メンシェビキに入り,08年から欧米で活動した。 15年ボルシェビキに入り,17年二月革命のあと帰国,ペトログラード・ソビエト執行委員となった。十月革命では V.I.レーニンのテーゼを支持し,ボルシェビキ中央委員,女性最初の社会福祉人民委員,党中央委員会婦人部長,20年コミンテルン執行委員となった。しかしブレスト講和に反対して辞任,21年には「労働者反対派」の中心となり党を除名された。 23年以後ノルウェー,メキシコ,スウェーデンに公使として赴任し,43年スウェーデン大使。 45年外務参事官。著書『赤い恋』 Vasilisa Malygina (1923) ,『経済の進化における婦人の労働』 Trud Zhenshchiny v Evolyutsii Khozyaistva (28) など。
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コロンタイ
ソ連の女性政治家,外交官。ポーランド人将軍の娘としてペテルブルグに生まれた。初めメンシェビキだったが第1次大戦中ボリシェビキとなる。十月革命の際は党最高指導者の一人。党婦人部長,コミンテルン執行委員となったが,レーニンの批判を受け,1922年以後党の中心からはずれた。世界初の女性大使として欧米各国に駐在。主著《新婦人論》,小説《赤い恋》など。
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コロンタイ【Aleksandra Mikhailovna Kollontai】
1872‐1952
ロシアの女性革命家,外交官。ポーランド人将軍の娘としてペテルブルグに生まれ,自由主義的家庭教育をうける。21歳で結婚し,一児を生んだが,女子工場労働者の惨状を見て衝撃をうけ,1898年チューリヒに留学,社会民主主義者となった。文筆活動に従事し,《婦人問題の社会的基礎》(1909)はロシアにおけるマルクス主義的女性解放論の代表作。女性の自立を求めるコロンタイは政治活動でも自主性を貫き,1905年革命時はメンシェビキ,08年亡命後は第二インターで活動したが,第1次大戦中レーニン派に転じ,17年レーニンの〈四月テーゼ〉を最初にただ一人支持した。
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コロンタイ
Aleksandra Mikhailovna Kollontai
1872~1952
ロシアの女性革命家,外交官。ポーランド人将軍の娘。結婚後,社会の現実にめざめ,革命運動へ入り女性解放の理論家となる。十月革命後,国家保護人民委員。女性解放,母子保護のために活躍し,小説『赤い恋』(1923年)を書く。1923年からノルウェー,スウェーデン大使。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報