技術的に相互に連関する複数の工場,あるいは製造工程のうえで前後関係にある複数の工場が,互いに隣接する立地をとって,有機的連関を保ちながら生産活動を行う生産の様式である。原語はロシア語で〈結合〉の意味である。コンビナートは,ソ連がロシア革命後の工業振興を目的にトラストとともに利用したことに始まる。1928年から実施した第1次五ヵ年計画で取り上げられ,ウラルの鉄鋼石とクズネッツの石炭とを専用貨車で結合したウラル・クズネツク・コンビナートがつくられた。その後,工業地帯の開発に際し,たびたびコンビナートが導入されるようになり,コンビナートはトラストと並んでソ連の工業建設の基本方式となった。こうしたことが強い印象を与え,〈コンビナート〉はそのままこうした生産の様式を表す日本語として定着した。資本主義国でも,このような工場間結合生産の萌芽形態としては,製鉄所でコークス炉の留分を利用し,有機合成化学工場を結合させて建設することが普通であったし,大型ダム・大型発電所の建設と結合して電力多使的な硫安,ソーダ,マグネシウム,アルミナなどの工場を,同一地域に集めることも日本では1930年代に流行した。これらを指してコンビナートと呼んでいる例もある。
しかし何といっても,結合の技術的連関と地域的構造が最も明快なのは,日本では1950年代半ばころから発展しはじめた石油化学コンビナートであろう。これは図に示すように,ナフサ分解工場(エチレン・センターと呼ばれる)を中心に,そこからでてくる各留分を原料とする有機合成工場,そこへナフサを送りこむ石油精製工場がそれぞれ隣接して立地し,各工場間はパイプで連結され,それぞれの工場の製品は次の工場へ原料としてパイプで送りながら,文字どおり結合生産を行うのである。こうした石油化学コンビナートを,海岸部を埋め立てて造成した,人工港湾つき工業用地に結びつけ,臨海工業地帯をつくりだしていくということが,高度成長期の日本の工業建設の軸であった。58年に三井石油化学をエチレン・センターとしてスタートした岩国・大竹コンビナートが,臨海コンビナートとして注目をあびた最初の例である。翌年には四日市,新居浜,川崎と数をふやしていき,後期の水島,大分,鹿島(鹿島臨海工業地域)などでは,鉄鋼コンビナートと石油化学コンビナートを組み合わせる型が確立した。とくに整った形態の臨海コンビナートとしては最後のものである鹿島が,鉄鋼,石油精製,石油化学以外に,大火力発電所(東京電力,440万kW)を組み合わせていることは,臨海コンビナートが高度成長の素材・エネルギー基地の役割を果たした状況を,よく象徴している。
臨海コンビナートの生産方式としての効率性は,工場間の有機的結合もさることながら,それが港湾機能と有機的に結合されていた結果でもあることを見のがしてはならない。港は中心部に大型タンカー,大型鉱石運搬船が直接接岸できる岸壁または係留できるバースをもち,それに直結した専用荷揚設備をもっている。またそれとは別に,それぞれの工場が敷地に隣接または近接して専用岸壁をもてるように立地がつくられている。海外から入ってきた大量の原料は,港湾設備できわめて効率的に工場に送りこまれ,各工場の製品または中間製品は専用岸壁を通して直接出荷される。これは,原料の大部分が海外から輸入され,コンビナートでつくられた素材を使用する工場の大部分は海岸部に展開しているという,日本の条件にとってはきわめて効果的であった。多くの工場は,専用岸壁を通しての小型船による沿岸輸送で,日本各地に点在する関連工場と,柔軟なリンクを保つことができたのである。
コンビナートは,まちがいなくその巨大な生産性と経済的効率性でもって,日本経済の高度成長期を支える主役の一つとなった。しかしその効率性はまた多くの欠陥を伴っていた。日本の公害問題はコンビナートの成長ときりはなせない。せまい地域にエネルギー多消費の巨大工場が集中することは大気汚染,廃棄物問題を深刻にする。四日市喘息(ぜんそく)はコンビナートに起因する初期の公害の典型例である。また事故による近隣被害の規模も大きい。瀬戸内海の東半分をまきこんだ,水島コンビナートの三菱石油の石油流出事故(1974)はその例である。大小の専用船による海上輸送の混乱,排出物による付近の海の汚染も,沿岸にコンビナートの集中する東京湾,伊勢湾,瀬戸内海では深刻になった。
コンビナートはきわめて巨大な産業集積であるため,そこからくるいくつかの特異な経済的性質を示す。その建設費は通常一企業の資本調達能力をはるかに超えるので,高度成長期を通してコンビナート建設は企業系列の形成,企業系列と銀行の結びつきの強化の,有力な誘因となった。またコンビナートを形成する各工場の生産能力は巨大なので,その競争的建設は深刻な過剰設備の危機をつねに伴い,その抑制のための企業系列間協調の試みや,通産省の介入を絶えず必要とした。にもかかわらず,日本のコンビナートは一貫した設備過剰とそこからくる過当競争のもとに成長し,今もその問題を悩んでいるのである。
コンビナートはどの程度まで現代を代表する生産様式であろうか? 半導体産業の地方分散立地に象徴的にみられるように,地域集中立地は必ずしも現代産業の支配的傾向ではない。しかし,コンビナートのように明確に地域的に隣接していなくても,自動車組立てラインと部品下請工場の関係などの例でよく知られるように,分散した工場間にもほとんど同一工程流れに結ばれているほどの強い有機的結合関係が存在するのが今日の傾向である。だから工場間結合が強まり,全体として経済効率の高いシステム形成がめざされる傾向は,現代の産業組織の特徴としてよい。同一地域での隣接立地を前提とするコンビナートは,鉄鋼,化学,エネルギーなどの領域に適したその特殊形態だというべきだろう。
日本のコンビナートをめぐる環境は,73年の石油危機を境に一変した。原料としての石油価格の上昇は,石油化学製品の国際競争力を低下させ,高度成長のストップ,中進国の石油化学の成長もあって,国内コンビナートは過剰設備に一挙に苦しむことになった。それに若干おくれて,鉄鋼業もほぼ同一の傾向をたどりつつあるようにみえる。新規建設はいっさいストップし,設備の廃棄・統合・整備が真剣に検討されている。コンビナートは,良くも悪くも,高度成長期を象徴する生産様式であった。
執筆者:中岡 哲郎
コンビナートは集積の利益を求めて形成された巨大な生産単位であるが,同時に生産の不利益をも集積したものとして存在する(集積の利益・不利益)。とくに1960年前後から日本の各地に形成されたコンビナートは,石油・電力・化学・鉄鋼といった素材生産型の重化学工業をワンセットとして新規立地したものであり,その規模は世界的にも最大級のものであったため,集積された不利益もまた巨大なものとなっている。
こうした不利益の第1は,コンビナートによって占有される広大な土地そのものである。素材型の重化学工業は原料・製品とも重量物であるため輸送の便を求めて臨海部に立地することになるが,これらの産業は一般に土地面積当りの生産性が低いうえに生産の規模が大きいため,広大な用地を必要とする。このため,埋立てによる土地造成が一般的となるが,これは海洋の生態系にとって貴重な遠浅の海岸線を破壊することになる一方,美しい自然を破壊し,市民と海とのさまざまなつながりを破壊するものとなる。第2は,素材型の重化学工業は原燃料の使用量が他産業に比べて大きいうえに,大規模化し集中的に立地していることから,コンビナート全体としての排水,排煙,廃滓などがいまだかつてみない量で集中的に放出されることである。これにより,在来の第1次産業が基盤から破壊され,地域住民の健康が破壊されるなどさまざまな公害が発生することになる。第3には,生産規模の巨大化のために単純な事故が重大な結果をもたらすことである(後出の水島コンビナートで発生した重油流出事故に関する記述参照)。これらに加えて,コンビナートは海外を含む広域の市場に対する素材供給基地としての性格をもつため,地元工場とのつながりは薄く,いわゆる経済効果もそれほど大きなものではない。たとえば堺・泉北コンビナートは大阪府下の全工業との比率でいえば,電力使用量で41.4%(1970),工業用水使用量で22.3%(1974),敷地面積で17.1%(1973)を占めるが,製造品出荷額では11.2%(1974),雇用量ではわずか1.7%(1974)を占めるにすぎない。
集積の利益は企業が享受し,集積の不利益は地域住民が負担するというコンビナートの構造は社会通念のうえでは許されるものではないが,これを円満に解決することは困難であり,地域住民としては裁判などの法的手段で対抗することも多い。この点で転機となったのは,1972年7月24日に津地方裁判所四日市支部が,いわゆる四日市喘息について,コンビナートを形成する各社の連帯責任を認める判決を出したことである。
執筆者:加藤 邦興
コンビナートでは大量の危険物を保有し,取り扱っているため,可燃性液体やガスの火災・爆発,石油の大量流出に伴う火災と海洋汚染,塩素のような有害ガスの拡散による中毒など,広範囲にわたる災害の可能性が潜在している。とくに1973年には石油化学プラント災害が頻発,火災や爆発がつぎつぎに起こり,死者も計8人に達した。また74年12月18日には,水島地区の6万klタンク底部から重油が4万3000kl 流出し,うち7500klが瀬戸内海に流れこみ,広範囲にわたり海洋を汚染した。一方,1964年6月16日の新潟地震では,地震直後に発生した4.5万klタンクなど5基の原油タンクの火災に続いて,5時間後には製油所構内の別の場所で第2火災が発生,拡大し,民家229棟を焼失するとともに製油所をほとんど壊滅させた。また78年6月12日に起こった宮城県沖地震では,3万klタンクなど3基のタンクから計6万8000klの重油などが流出して製油所構内にあふれ,うち2900klが海上へ流れたが,オイルフェンスの展張等,適切な処置によって大事には至らなかった。このような大型の事故,災害,とくに1973年に頻発した石油化学プラント災害および74年の大量の重油流出災害を契機として,75年,石油コンビナート等災害防止法が制定され,消防法および高圧ガス取締法の関係規定も大幅に強化された。同時に,事業所においても従来の保安体制が根本的に改められ,保安に関する考え方が一新された。また,耐震設計基準も81年の高圧ガス取締法をはじめとする諸規定の改正によって著しく強化された。コンビナートの防災には,地域計画,構内配置,設備の設計・施工,教育・訓練,管理のすべてにわたる配慮が必要である。
執筆者:上原 陽一
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ロシア語で「結合」という意味のことばで、転用されて複合企業体をさす語となった。英語ではコンビネーションcombinationという。生産過程には、鉄鋼製品や繊維製品のように原料からこれに順次加工を施して完成品に至る段階生産と、機械や船舶、自動車などのようにさまざまな部分生産物を組み立てることによって完成品を得る組立て生産とがある。通常、これらの生産過程は、別々の工場や企業によって受け持たれており、これを社会的分業という。しかし、段階生産物にしても組立て生産物にしても、それぞれの部分工程を受け持つ工場や企業は、必要とする原料や半製品、部品などを他の生産者から仕入れたり、下請企業に発注したりする必要があり、運搬費、流通費がかかるうえ、その過程で損耗や傷物が出たりすることが避けられず、さらに時間的ロスも生ずる。コンビナートは、このような技術的、経営的なむだを避けるため、相関連する工場を地域的に結集して、複合的生産体を形成するものである。
本来は、革命後のソ連(当時)に1928年より実施された五か年計画のもとで、生産の効率化を図るために構想された生産システムで、ウラルの鉄鉱生産とクズバスの石炭採掘との結合による炭鉄コンビナートが有名である。ただし、日本などでコンビナートといっている同一地域における生産複合体のことは、ロシアではコンプレックスといっており、コンビナートという場合は、地域的な近接性よりも生産上の結合体という要素が重視されている。事実、前記のウラルとクズバスとは2000キロメートルも離れており、この間を鉄鉱石と原料炭を積載した貨車が往復するわけである。
これに対して、日本でコンビナートといっているのは、技術的に関連した生産過程をそれぞれ分担しているいくつかの工場と企業が、地域的にも隣接している生産複合体のことをいい、多くの場合、資本的にも系列関係をもっている場合が多い。このようなコンビナートの建設は、第二次世界大戦前にも三井三池を中心とする石炭化学コンビナートなど、石炭―化学、電力―化学のような無機合成化学工業にみられたが、本格的になったのは第二次世界大戦後である。とくに1955年(昭和30)ごろからの石油化学工業の本格的発展に際して、各地で石油化学コンビナートが形成された。
このうち有名なものをあげれば、三菱(みつびし)系石油化学会社を中心とする四日市石油化学コンビナート、三井系の岩国・大竹石油化学コンビナート、住友系の新居浜(にいはま)石油化学コンビナート、日本石油(現、ENEOS)グループの川崎石油化学コンビナートなどである。これらの日本におけるコンビナートの発展は、石油化学に関連したコンビナートに集中しているのが特徴である。これは、第二次世界大戦後、主としてアメリカからの技術導入により生産を開始したという技術的対外依存性と、一時に巨額の資本を投下しなければならないという資本リスクを分散する必要とが重なり、これをコンビナートというシステムのもとに多数の企業が協同して生産するようにし、経済効率を高めさせようとした通商産業省(現、経済産業省)の強力な行政指導が加わって成立したのであった。これらの石油化学コンビナートは、原油を輸入に依存するという日本の原料事情のもとで、石油精製の副産物であるナフサを原料としているところから、石油精製会社―エチレン分解センター―各種誘導生産物という技術的連関性のもとに形成された。そして、このような技術的連関性のもとでは、資本的系列関係も付随して生ずることになった。
しかしその後、石油総合化学工業の技術的高度化と製品の多彩化が進む過程で、しだいにコンビナートの同一資本系列色が分散化し、住友化学工業(現、住友化学)と昭和電工との提携、三菱油化と三井石油化学との提携などのように化学工業会社が資本系列を超えて結合していく例も多くなった。さらに、1970年代以降、いわゆるエレクトロニクス革命といわれる先端技術産業の発展と化学工業の不況とによって石油化学コンビナートの集約化が進められ、コンビナートにとっても再編成の動きが強まり、1994年(平成6)三菱油化と三菱化成が合併し三菱化学となり、さらに2017年(平成29)三菱樹脂、三菱レイヨンと統合して三菱ケミカルとなった。また1997年には三井石油化学と三井東圧化学が合併し三井化学となった。
[御園生等]
『中村忠一著『日本の化学コンビナート』(1962・東洋経済新報社)』▽『野口雄一郎著『日本のコンビナート』(1998・御茶の水書房)』▽『渡辺徳二・林雄二郎編著『日本の化学工業』(岩波新書)』
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…19世紀半ばに,裾を絞ったズボン風のパンタレッツpantalettesが下ばきとして女性と子どもに用いられた。19世紀末に男性の下着としてシャツとズボン下の続いたコンビネーションcombinationが普及し,20世紀初めには袖なしで膝丈となり,のちにシャツとブリーフに分かれた。女性の下着も20世紀に入りブラジャー,ドロワーズなどが普及した。…
…コンプレクスという概念を精神病理学の用語としてはじめて用いたのは,S.フロイトの精神分析療法の端緒を開いたブロイアーJ.Breuerである(1895)。彼は〈観念複合体Ideenkomplex〉と称している。しかしながら,コンプレクスという言葉をもっとも強調したのは,ユングである。彼は言語連想テストにおいて,刺激語に対する被検者の反応時間の遅延,連想不能,不自然な連想内容が,彼のいう〈感情の込められた複合体gefühlsbetonter Komplex〉に由来することを明らかにした。…
…錯体は狭義から広義にわたり多様に定義されている。錯体を構成する化学種の電荷を考慮すると複雑になるので便宜上これを無視し,比較的狭い定義を与えるとすればつぎのようになる。〈一つあるいはそれ以上の,金属を主とする原子を中心として,これにいくつかの非金属原子あるいは原子団が結合してできた化学種を錯体という〉。中心原子は一つのものがふつうで,これを一核錯体または単核錯体という。中心原子が複数個のものを多核錯体といい,中心原子の数nに応じてn核錯体(二核錯体の場合には複核錯体ともいう)という。…
…トポロジーの立場からみて,点,線分,三角形,四面体などの単体(と同相な図形)はもっとも単純なものである。そこで,一般の図形の位相的性質を研究するのに,その図形をある一定の方法でいくつかの単体に分割して,それらの単体の間の組合せのようすを調べるという方法がしばしば採られる。このようにして得られた単体の集合を複体という。正確には次のように定義される。ユークリッド空間の中に有限個の単体の集合Kがあって,次の2条件が成り立つときKを複体という。…
…
[発射場の地上設備]
発射場にはロケット発射の準備から発射後の追跡に至るまでの作業に対応して,発射準備設備,発射設備,管制設備,地上局,管理および支援設備が必要である。これらはそれぞれコンプレクスcomplex,あるいはセンターcenterと呼ばれる。(1)発射準備設備 発射場に搬入されたロケットの各部分や搭載機器,衛星の荷卸しに始まる発射準備作業に必要な施設,設備。…
…さらに企業集中が進むと,その形態も発展し,企業グループがさまざまな形をとって多角的に形成されるようになる。企業集中が技術革新との関係において展開したのがコンビナートである。コンビナートは,独立企業が技術的合理化を目的として地域的・多角的に結合した形態である。…
…水俣病,イタイイタイ病などの深刻な公害事件が発生したのは,この高度成長の初期のことであった。 戦後の公害の典型は,日本最初の石油コンビナートを建設した四日市の公害である。1958年ころから四日市港内において石油くさい魚がとれ,やがて漁業が困難となった。…
…また,ロンドン,パリなどの大都市にはニューヨークなどとともに,衣服,自動車,食料品,出版など消費力と流通機能に依存した工業が発達し,大都市工業地域を形成している。 旧ソ連では工業生産を効果的に行う目的で,地域内,地域間で資源,工場,技術,労働力を有機的に結合させたコンビナート(総合工業地域)が発達していた。この国の工業は,かつてヨーロッパ・ロシアのレニングラード(現,サンクト・ペテルブルグ)とモスクワに集中していたが,十数次に及ぶ五ヵ年計画が実施された結果,各地に特色あるコンビナートが形成された。…
※「コンビナート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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