改訂新版 世界大百科事典 「コーヒー」の意味・わかりやすい解説
コーヒー
coffee
嗜好(しこう)飲料の一つで,世界中で飲用される。特有の芳香と快い苦みがある。カフェインを含むため,神経を興奮させる作用をもつ。〈珈琲〉の字があてられる。
コーヒーノキ
コーヒーの原料植物には数種があるが,アラビアコーヒーノキCoffea arabica L.(英名common coffee/Arabian coffee)が,世界生産の90%を占める。ほかに同属のコンゴコーヒーノキC.robusta Linden(一名ロブスタコーヒーノキ),リベリアコーヒーノキC.liberica Bull.などが栽培されている。
アラビアコーヒーノキは,エチオピア原産のアカネ科の常緑低木で,高さ3~4.5m。葉は長卵形でやや革質。熱帯では周年開花する。花は短い花梗をもって葉腋(ようえき)に群生する。花冠は基部が筒状,先端が数片に分かれ,白色で芳香がある。果実は小さな球ないし楕円形で,初め緑色から,熟すにつれて紅色,紫色になり,チェリー・ビーンと呼ばれる。通常2個の種子を含む。種子は半球状で,平らな面に1本の深い溝があり,平豆(フラット・ビーン)と呼ばれる。果実は開花後8~9ヵ月で収穫される。収穫は,熟したものから手で摘みとるのが一般。省力のため機械で枝ごと全果をとり,熟果のみを選ぶ方法も行われている。
調製法としては,果実を乾燥し,果肉と外皮を除く乾式と,水に漬け発酵させて果肉を除いた後,乾燥して外皮を除く湿式とがあり,高級品は湿式によるのが普通である。近年では,湿式を機械的に短時間に行うことが多い。調製した種子がコーヒー豆である。まず生豆を焙煎(ばいせん)(ロースト)する。焙煎の方法により,風味,品質が左右される。地域の好みもあるが,最高200~215℃で15分くらいいる。焙煎した豆は,抽出を容易にするため粉にひく。普通,日本では熱湯で抽出して,好みで砂糖やミルクを加えて飲用するが,地域,民族,風習により,抽出法や飲み方はさまざまである。産地では葉や枝の皮も乾燥後いって,コーヒー茶として飲用する。インスタントコーヒーは,抽出液を乾燥したものである。
原産地では,早くから野生品を利用していた。6世紀ころ,アラビアに伝わって栽培化された。コーヒーが飲料としてヨーロッパに伝えられたのは15世紀以降のことである。ブラジルにアラビアコーヒーノキが導入されたのは18世紀のことで,本格的な栽培は19世紀になってからである。栽培法は,ふつう実生によって繁殖させるが,接木や挿木も可能である。苗木を本畑へ定植後,マザー・ツリーといって,コーヒーの樹間にテフロシア,クロタラリアなどの樹木の種子をまき,幼樹の庇蔭(ひいん),防風用とし,またその枝葉を緑肥に使う。通常は定植後5年生から収穫を始め,20年生くらいで更新する。熱帯作物としては,やや寒さに強く,降霜のない地域であれば栽培ができる。熱帯の高地産の,とくに朝は霧に包まれ,日中は日照良好,夜間は冷涼で潮風の当たらぬ所のものに良品質のものが多く,産地によって風味が違う。
コンゴコーヒーノキは,アフリカのウガンダ,コンゴ原産である。19世紀末にコンゴ奥地で発見され,栽培が始められた。多収で病気に強いので,アラビアコーヒーノキの適さない地域(ジャワ,中央アメリカ,インドなど)で栽培される。果実は小さいが,皮ばなれがよい。豆は灰色で品質は劣るが,香りが強い。また価格が低いことなどから,インスタントコーヒー用に重要視されている。
リベリアコーヒーノキは,アフリカ西海岸,低地アンゴラ地方原産で,生育強壮で低温や病害虫に強く,湿潤で気候の悪い低地でも栽培が可能である。花や果実はアラビアコーヒーノキよりも大型で,褐色に熟する。豆は黄白色(アラビアコーヒーノキは青緑色)で,アラビアコーヒーノキよりも香りが乏しい。安いコーヒー用にされ,またアラビアコーヒーノキとの混合用にされる。
執筆者:星川 清親
飲用の歴史
10世紀前後に,イスラム世界の著名な医学者ラージー(854ころ-925)が〈古来エチオピアに原生していたブンの種実を砕いて煮出した汁液ブンカムは一種の薬として胃によい〉と記したのが,コーヒーについての世界最初の文献である。ブンbunnは,コーヒーノキとその種実の原始名で,ブンカムはその生豆を乾燥し,いらずに砕いて煮出した麦わら色の液体であった。アラブ世界でそれが飲用されはじめたのは11世紀に入ってからで,哲学者,医学者として著名なアビセンナ(イブン・シーナー)は,具体的な飲用法を書きのこしている。その後2世紀ほど生豆による飲用が続いていたが,13世紀半ばころになって,豆をいって煮出すようになり,色は黒く,苦みはあるが香りの高いものに一変した。快い刺激と興奮をもたらすその飲料は,コーランで酒を禁止されているイスラム教徒によって熱狂的に歓迎され,薬用よりも日常的な飲料として定着していった。なかでも神秘主義者の間で,夜間の勤行を助ける眠気覚ましとして好まれた。すでにブンとは呼ばず,一種の酒の名をとって〈カフワqahwa〉というようにもなった。このアラビア語がトルコに入って〈カフウェkahve〉となり,やがて17世紀にヨーロッパ各地に広まり,コーヒーまたはカフェという世界的な通用語を生むに至る。
トルコへは1517年セリム1世のエジプト遠征によって伝わり,54年にはイスタンブールに最初の華麗なコーヒー店Kahve Khāneが開かれ,市民はあげてこの店へつめかける状況であった。コーヒーにたいする渇仰(かつごう)ともいうべき風潮やコーヒー店でかわされる政治談議は,為政者にとって危険な現象と映じ,コーヒー店やコーヒーの飲用に干渉,弾圧が加えられることもあった。他方,同じ16世紀中ごろイスラム教界の長老アブド・アルカーディルは,コーヒーについての知識をまとめた一書をものしてコーヒーを賛美した。その手写本は,ルイ14世によってトルコからフランスに移され,コーヒーの来歴を伝える唯一の文献として,現にパリのビブリオテーク・ナシヨナルに所蔵されている。
ヨーロッパにコーヒーを紹介した最初の文献は,1573年ころシリアのアレッポに滞在していたドイツ人医師L.ラウウォルフの旅行記である。その後フランスのP.S.デュフォアやイタリアのデラ・バレがこの珍しい飲料について論考し,17世紀になってコーヒーはベネチア,パリ,ロンドンとヨーロッパ各地に広まった。イギリスでは1650年オックスフォードに,52年にはロンドンにコーヒー店ができた。ロンドン最初のコーヒー店は貿易商のエドワードが召使のギリシア人パスクア・ロセーをしてセント・ミカエル教会のかたわらに天幕張りで開かせたもので,これが口火となって熱狂的なコーヒー流行が起こり,18世紀初めコーヒー・ハウスの数は3000に上ったという。なかには,つねに学者,芸術家,ジャーナリストなどが集まって談論風発,新しい文化創造の温床となった店もある。フランスでも同様の現象が見られた。1686年パリのコメディ・フランセーズ近くに〈カフェ・プロコープ〉が開かれて熱狂的に迎えられ,この店は動乱の大革命期をも通してラ・フォンテーヌ,ボルテール,ディドロ,ダランベール,ダントン,ロベスピエール,バルザック,ユゴー,ベルレーヌなど百科全書派の人々,詩人,作家,革命家その他多くの著名人がたむろしていた。
18世紀の半ばを過ぎてからコーヒーはヨーロッパで大きく変わった。それまではいった豆を微粉にして煮出した液をそのまま飲むというアラビア・トルコ風の飲み方が行われていたが,まず,そのコーヒー液をろ過してかすを除くことに気がついたのである。1763年フランスのドン・マルタンによって袋入りのポットが発表されたのがそれであり,1800年にはド・ベロイのドリップポットが出現して,コーヒーの近代化が確立されたのである。また,飲用が広まるにつれて,それまでエチオピアやアラビアでしか産しなかったコーヒー豆は,ヨーロッパ諸国の植民地拡大にともなって,東南アジア,中南米,中央アフリカなどでも産出されるようになった。
日本には安永年間(1772-81)までにフランスの《ショメル日用百科事典》のオランダ語訳が入手され,それによって17世紀末までのくわしいコーヒー知識が伝えられた。この書はその後幕命により馬場佐十郎,大槻玄沢らの蘭学者が日本語訳を行い,《厚生新編》と名づけられたが,その第28巻〈雑集〉の〈コッヒイ〉の項は1万語にも及ぶ。コーヒーそのものの伝来時期は不明であるが,長崎に来往したオランダ人が持ち込んでいたことは確かで,1804-05年(文化1-2)長崎勤務をしていた大田南畝は,オランダ船を訪れた際コーヒーをすすめられ,〈紅毛船にてカウヒイ′といふものを勧む。豆を黒く炒(い)りて粉にし,白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪へず〉と,《瓊浦又綴(けいほゆうてつ)》に書きのこしている。
日本でコーヒーが飲まれるようになったのは明治以後のことになる。初めはごく限られた人々の間で飲まれていたが,1888年東京上野黒門町に可否茶館(カツヒーさかん)が開店してはじめてコーヒーを飲ませ,1911年東京銀座にカフェー・プランタンやカフェー・パウリスタが開業,とくに後者がブラジルコーヒーの宣伝につとめた結果,だんだん一般に広まるようになった。
→喫茶店
インスタントコーヒー
第2次大戦前の日本では,家庭でコーヒーを楽しむというのは,きわめてまれなことだったが,今はそれがごくあたりまえのことになった。目をみはるばかりの普及であるが,その普及にあずかって最も力があったのはインスタントコーヒーの出現である。
インスタントコーヒーの発明者は加藤某という日本人だという。コーヒー液を真空蒸発缶内で噴霧乾燥させた粉末を〈ソリュブル・コーヒーsoluble coffee〉と名づけたもので,1901年にアメリカで発売された。その後,アメリカ人G.ワシントンが別の方法でつくって特許をとり,インスタントコーヒーと命名した。第2次大戦中アメリカ軍は携行用のレーションration中にインスタントコーヒーを加え,これによって日本でも第2次大戦後間もなくこの便利な飲料を知るようになった。そして1960年,森永製菓が生産販売を開始すると,熱湯さえあれば即時に飲用できる簡便さと,コーヒー特有の味が歓迎されてヒット商品になり,翌61年には国内・国外合わせて60もの銘柄が市場に出回り,すでにブームを巻き起こしていた即席めん改めインスタントラーメンとあいまって,いわゆる〈インスタント時代〉を現出するに至った。こうしてインスタントコーヒーに親しんだ人たちの中には,かつての噴霧乾燥から凍結乾燥へと移行して質の向上が見られるにもかかわらず,より本来的な美味を求めてレギュラーコーヒーに転向する人も多く,日本におけるコーヒー愛好者はいよいよその数を増しているのが現状である。
コーヒー豆の種類と配合
コーヒー豆はおおむね熱帯各地の高地で産出され,特殊のものを除いてはほとんど産出地や積出港の名で呼ばれる。種類は,少量のロブスタ種を除いてほとんどアラビカ種である。インドネシアのジャワやスマトラはロブスタの産地として知られるが,スマトラのマンデリンはアラビカ種の逸品で,ブルー・マウンテンが出回るまでは最高のコーヒーと称された。インドではマラバル海岸沿いの山地から産出されるマイソールが良品である。アラビア産のコーヒーはかつてはイエメンのモカ港から積み出されたため,モカコーヒーの名がある。モカの中でマタリと呼ばれるものは優雅な芳香と酸味で高い評価を得ている。エチオピアのハラリも香味にすぐれたモカの一種とされる。アフリカではほかにも良質のものの産出が多いが,とくにタンザニアのキリマンジャロが知られている。また,マダガスカル東方のレユニオン島のブルボンも有名で,ブラジルコーヒーの中でモカ型の味をもつブルボン・サントスはこの系譜をひくものである。中南米ではブラジル・サントス,コスタリカ,グアテマラ,コロンビアなどの名が挙げられるが,とくにコロンビア・メデリンが良質である。西インド諸島もすぐれたコーヒーを産するが,とくに有名なのはジャマイカ島のブルー・マウンテンである。このコーヒーは香味ともによく整っており,あたかも最上の配合のごとき美味をもつとされている。
コーヒーは単味(いわゆるストレート)でもそれぞれ個性があって楽しめるが,数種の豆を配合(ブレンド)して好みの味をつくり出すのもよい。代表的な配合例としては,ブラジル,コロンビア,モカの5:3:2などが挙げられるが,豆のいり方(焙煎)やたて方によっても味が変わってくることがある。焙煎は,浅いりから深いりまでいろいろ行われるが,無難なのは指でつまんで割れる程度の中いりである。深いりにすると苦みと濃度を増し,浅いりは香りと酸味をひき出しやすい。
コーヒーのいれ方とその器具
コーヒーは,豆に含まれるカフェインや,焙煎によって生ずる水溶性の芳香性物質を十分に抽出し,好ましくない成分の溶出を防いだとき,初めて比類のない美味を呈する。その美味を追求した結果,19世紀以降コーヒーはきれいに澄んだものでなくてはならぬことが確認された。さて,現在行われているような澄んだコーヒーをとるには,浸出液とかすとをこし分けるのは当然であるが,同時に煮出すことは絶対に禁物である。いれ方としては,熱湯中に粉を入れて数分間浸出させる浸漬法(しんしほう)と,布袋や特定の容器に入れた粉に熱湯を注いで浸出液をこし取る透過法とが考えられ,あるいは両者を結合させた形の抽出器も考案されている。浸漬法では,なべに湯を入れて火にかけ,沸騰したところで用量の粉(1人分10~12g,だいたい大さじ山盛り1杯)を入れてかき混ぜ,煮たたせないように火を細めるか,火から遠ざけて2~3分間置き,粉が沈んだところで浸出液をこし取る。こし袋は片毛の綿ネルがよく,布目を内側にし,よく洗い固くしぼって使う。透過法は,いわゆるドリップが基本になる。前記のような布のこし袋に用量の粉を入れ,直前に沸騰させた熱湯を静かに注ぎ,4~5分ほどで量の多少にかかわらずこし取るようにする。湯は途中で沸かしなおさぬほうがよい。ドリップは簡便で,かつ,最も良質のコーヒーを得やすい手法である。前記のように綿ネルの布袋を使うのが本格であるが,使用後の布袋はきれいに洗って水に浸しておく。乾燥させると悪臭を帯びて使えなくなることが多い。この布袋法のめんどうさを除いたのが使い捨てのろ紙を用いるメリタ,カリタ(いずれも商標名)式で,手軽によいコーヒーをつくることが可能である。
透過法の一種に水出し法がある。これは香味ともによいものを取ることができるが,特殊な点滴装置が必要なので,浸漬法を利用して,いくらか多めの粉をタンブラーなどの冷水に浸し,半日くらい静置してこし取ると,芳香のある液が得られる。ダッチコーヒーと呼ばれるのは,普通こうした水出しの濃厚なコーヒー少量をホットミルクに入れたものである。
サイフォンは浸漬と透過を兼ねた形式の器具である。耐熱ガラス製の上下のボールのうち,下段のボールの湯を沸騰させてから,あらかじめ粉を入れて置いた上段のボールをさし込むと,蒸気圧によって熱湯が上昇して浸出を行い,火を消すと浸出液はろ過具を通って下段に吸引される。家庭用にも業務用にも用いられているが,浸出液が薄いため再度手順を繰り返すと,不純分を溶出したり煮出すことになり,良好なものが得られないので注意を要する。パーコレーターは,用量の湯と粉を入れて火にかけると,中央のパイプを通って上部のバスケットの粉の上に熱湯が噴出するようになっており,透過法の一種ではあるが,浸出液と湯がたえず混じり合って循環を繰り返すので,その状態は煮出しに近い。エスプレッソはイタリアで広く使われている器具で,きわめて短時間に浸出を行うため,普通のいり方をした豆では酸味が強くなりすぎる。そこで,イタリアンローストと呼ぶ,極端な深いりをしたものを用い,濃く苦いコーヒーを抽出する。
成分と効用
コーヒーにはこれといった栄養はないが,焙煎された豆で平均1.3%,浸出液で0.04%程度のカフェインが含まれている。このカフェインによって快い刺激と興奮がもたらされ,疲労回復と覚醒が促される。これが古くはイスラムの僧院で睡魔撃退のためにも愛用され,あるいは強精薬的にも利用されたゆえんである。ちなみにカフェインの含有量は緑茶のほうが多いが,タンニンとの関連で,カフェインの効果はコーヒーの方が強い。カフェインはアルコールのような有害な副作用とその蓄積がないので,コーヒーを常用しても害をひき起こさない。またカフェイン使用の極量は0.5gであり,これは濃厚なコーヒー10杯分以上にあたるので,たとえ,いっぺんにかなり多量を飲用する場合があってもまず問題は起こらない。
執筆者:井上 誠
生産,消費,貿易
世界のコーヒー豆の総生産量は558万tで,うち約4割がブラジル(131万t),コロンビア(68万t)を中心とする南アメリカである。次いでインドネシアが35万tと多い。以上あげた国が国別生産の上位3ヵ国で,これに続くのがメキシコである(1994)。ただし世界一の生産国であるブラジルは降霜のため生産量が激減する年がある。
コーヒーは世界的にみて茶(紅茶,緑茶など)よりも広く普及している飲物で,貿易上も重要な国際商品である。1人当り消費量をみると,北欧諸国が最も多いが,主要国ではドイツ,フランス,アメリカが多く,イタリアがこれに次ぐ。紅茶,緑茶の消費の多いイギリスや日本は比較的少ない。日本の消費は増加傾向にあるが,近年は消費の高級化に伴い,インスタントに代わってレギュラーの伸びが著しい。コーヒー豆の輸出は,生産と同じくブラジルがトップで,コロンビアが続き,ほかには,コートジボアール,エルサルバドル,インドネシアなどが多い。輸入はアメリカが圧倒的に多く,ドイツ,フランス,イタリアが続く。日本もこれらの国に続いて多い。
執筆者:黒田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報