改訂新版 世界大百科事典 「コーマン」の意味・わかりやすい解説
コーマン
Roger Corman
生没年:1926-
1950年代の〈B級映画の王者〉,60年代のアメリカ怪奇映画の第一人者として知られる映画監督。また,60年代半ばから70年代にかけてフランシス・フォード・コッポラ,ピーター・ボグダノビッチ,マーティン・スコセーシ,モンテ・ヘルマン,アービン・カーシュナーらの監督,ジャック・ニコルソン,ピーター・フォンダらの俳優といった才能にデビューの機会を与え,〈《イージー・ライダー》以後のアメリカン・シネマの陰の母胎〉となったプロデューサーでもある。デトロイト(一説にはシカゴ)生れ。監督としては,1955年から71年までに47本もの作品があり,とくに最初の5年間には25本のB級映画(ときには〈B〉よりはるか下という意味で〈Zフィルム〉と呼ばれることもある低額予算の映画)を撮り,西部劇,ギャング映画,SF映画,怪奇映画,戦争映画,ロックンロール映画,オートバイ映画,幻覚剤(ドラッグ)映画など,マイナーなジャンルはほとんどすべて手がけた。なかでも高く評価されているのは《アッシャー家の惨劇》(1960)から《姦婦の生き埋葬》(1962。原作は《早過ぎた埋葬》),《忍者と悪女》(1963。原作は《大鴉》)などを経て《リジアの墓》(1965)に至る〈アメリカン・ゴシック・メロドラマ〉とも呼ばれる8本のエドガー・アラン・ポー原作のシリーズで,8本とも主演はビンセント・プライス。撮影は,イベンスやフラハティらドキュメンタリー映画作家のカメラマンとして出発し,《真昼の決闘》(1952)以後ハリウッドの〈赤狩り〉の非公式ブラック・リストに加えられていた名手フロイド・クロスビーが担当した。ほかに,南部の人種偏見問題を扱った《闖入者》(1961)も評価が高い。監督作のほとんどをみずからプロデュースしているが,そのほかに100本以上のプロデュース作品がある。1971年の《レッド・バロン》以降は監督業を引退し,プロデューサーに専念。1970年代以降,イングマール・ベルイマン,フランソア・トリュフォー,フェデリコ・フェリーニらヨーロッパの映画作家の作品のアメリカへの輸入・配給にも力を注いでいる。
執筆者:宇田川 幸洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報