ディケンズとともに19世紀イギリス文学を代表する小説家。7月18日、インド駐在の財務官のひとり息子として、カルカッタ(現、コルカタ)付近に生まれる。4歳で父を失い、翌年再婚する母を残して本国に帰り、以後叔母の家で養われたため、金に困ることはなかったが、家庭の温かい空気を知ることができないままに成長した。1829年ケンブリッジ大学に入ったが、勉強に打ち込めず翌年中退、ヨーロッパ大陸に遊び、帰国後法律を修めたが、これも長続きしなかった。結局好きな絵の修業のためにパリに渡り、ボヘミアン的な生活を送るというぐあいで、典型的な金持ちの坊ちゃん育ちにありがちな、腰の定まらないディレッタント的な青年時代を送った。それだけに人はよいが、世間知らずのため、友人から道楽の味を覚えさせられてはその負債を押し付けられ、果ては怪しげな新聞を買収させられて破産するという始末で、父の遺産を22歳にしてすべて失ってしまった。やむなく生活のために挿絵を描いたり、新聞のパリ通信員として細々と暮らしたりしながら、パリで知り合ったイザベラ・ショーと1836年に結婚した。
しかしまもなく妻が精神科病院に入院、娘も他人に預けて育ててもらわねばならず、そうした費用を全部自分で稼がねばならなかった。そのため、以前ののんきな暮らしから一転して、恐ろしい生活苦と闘うことになり、画家として生計をたてることを断念して、雑文書きに専念し、評論、戯作、小説と手あたりしだいに書きまくった。なかでも『イギリス俗物列伝』(1847。のちに『俗物の書』と改題)は風刺家としてのサッカレーの才能がよく出ている。『虚栄の市』(1847~1848)によって一躍文壇に認められ、『ヘンリー・エズモンド』(1852)が彼の作家としての地位を揺るがぬものとした。
こうした文学的成功にもかかわらず、私生活はきわめて悲惨なもので、家庭生活の幸福を味わえぬわびしさを紛らわそうとしたのか、親友である牧師ブルックフィールドの妻ジェーンと親密になったが、ともに妻があり夫がある身であったので、その愛を成就することもできず、傷心のまま別れねばならなかった。一方、作家としての文名は『ペンデニス』(1850)、『ニューカム一家』(1855)などによりますます高まり、1860年『コーンヒル雑誌』発刊に際して初代編集長となり、イギリス文壇の大御所となったが、健康を害して1863年12月24日52歳で世を去った。彼はよきにつけ悪(あ)しきにつけディケンズのライバルとみなされ、比較されたが、ディケンズに比べて彼の作品は力強さで劣っても、抑制のきいた教養ある文体、鋭い歴史的感覚などで勝っている。最近詳しい伝記研究が行われるにつれて、これまでとかく説教臭や感傷過多が非難された彼の作品が、再評価されるようになった。
[小池 滋]
『斎藤美洲訳『世界文学大系40 いぎりす俗物誌』(1961・筑摩書房)』▽『藤田清次著『サッカレー研究』(1972・北星堂書店)』▽『鈴木幸子著『不安なヴィクトリアン』(1993・篠崎書林)』▽『鈴木幸子著『サッカレーを読む――続・不安なヴィクトリアン』(1996・篠崎書林)』
イギリスの小説家でビクトリア時代を代表する作家の一人。東インド会社高官を父にカルカッタで生まれたが,幼くして父を失い,母も再婚したので,ひとりでイギリスに送り帰され,寄宿舎生活を送った。ケンブリッジ大学を中退,弁護士になろうとしたが長続きせず,ドイツやパリで放浪生活を送るうち投資先の破産により父の遺産をすべて失った。このころ(1836)結婚し,文筆と戯画の才能で生計を立てようとしてジャーナリスト生活に入る。《フレーザー雑誌》《パンチ》などに挿絵入りの戯文や風刺的な小説を寄稿したが,この期の作品は小説《バリー・リンドン》(1844発表),戯文集《イギリス俗物誌》(1846-47発表)など,当時流行の社会的ポーズ(スノッブ)を風刺したものが多い。このころ妻が発狂し,一生を病院で送ったため,以後ひとりで2人の娘を育てた。1847年から48年にかけて分冊発行した《虚栄の市》によって一躍大作家として認められ,続いて俗物的社会の誘惑に迷いながらも母と婚約者の清純な愛に救われる青年の物語《ペンデニス》(1848-50),18世紀の一紳士の回想録という形をとった歴史小説《ヘンリー・エズモンド》(1852),再び俗物社会の中で真の人生を生きようとするドン・キホーテ的な父と,画家を志すその息子を描く《ニューカム家の人びと》(1853-55)を発表し,揺るぎない作家的地位を固めた。そしてクラブでの有名人との交際を楽しみ,友人の妻ブルックフィールド夫人にプラトニックな愛情をささげたりした。晩年は健康を害し,《エズモンド》の続編《バージニア人たち》(1857-59)や《ペンデニス》の続編《フィリップの冒険》(1861-62)などには創造力の衰えがみられる。彼の本領は大画面の社会風俗描写,さまざまな俗物の生態の活写,その痛烈な風刺とほろ苦い世間知との絶妙なバランスなどにあるが,時に女性を感傷的に理想化する傾向がそれをそこなっている。
執筆者:海老根 宏
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…語源については明らかでないが,最初は18世紀の俗語で靴屋を意味し,さらにケンブリッジ大学関係者が町の一般市民を呼ぶときに使い,19世紀になってから下の階級の人間,育ちや趣味の悪い人間を指す侮蔑語となった。W.M.サッカレーが1847年に《イギリスのスノッブたち》という連載エッセーを完結させてから,この語は英語圏内のみならず,他の国々にも広く知られるようになった。例えばフランス語にもそのままとり入れられ,〈スノビスムsnobisme〉という語さえ造られた。…
…《パンチ》には,常にその時代最高の文学者と画家が参加していた。例えばH.メーヒューやサッカレー(画家としても腕をふるった)が文章で,ジョン・テニエル,リチャード・ドイル(コナン・ドイルの伯父)が絵画でその紙面を飾っていた。まさにイギリスのユーモアの典型と目されている。…
※「サッカレー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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