改訂新版 世界大百科事典 「サッファーフ」の意味・わかりやすい解説
サッファーフ
al-Saffāḥ
生没年:723ころ-754
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アッバース朝の初代カリフ(在位750~754)。通称はアブル・アッバース。預言者ムハンマド(マホメット)の叔父アッバースの子孫。ウマイヤ朝を打倒し、ムハンマド家からカリフを出すべきだとするアッバース家運動を指導していた兄のイブラヒームが殺されたあと、749年にクーファに入城した革命軍の推戴(すいたい)を受けてカリフたることを宣言。翌年ティグリス川の支流ザーブ川のほとりでウマイヤ朝軍を破り、さらにエジプトに逃亡したウマイヤ朝最後のカリフ、マルワーン2世を殺して、正式にアッバース朝を開いた。続いて同じムハンマド家に属するアリー家を擁護しようとした宰相アブー・サラマを殺して、シーア派の弾圧に踏み切り、アッバース家の権威を確立した。またシーア派の勢力の強いクーファから三たび居を移して、アンバール近くで新首都ハーシミーヤの建設を始めたが、完成をみずに没した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…在位724‐743)の国家再建策も効を奏せず,同朝は崩壊への道を進んだ。747年アッバース家の宣伝者(ダーイー)アブー・ムスリムは,ホラーサーンのメルブで挙兵し,次いで749年,サッファーフはクーファでカリフを宣した。750年マルワーン2世が逃亡先の上エジプトで殺され,ウマイヤ朝は滅んだ。…
※「サッファーフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新