サトラップ
さとらっぷ
satrap
アケメネス朝ペルシアの属州に置かれた行政長官職。「王国の守護者」という意味の古代イラン語クシャトラパ*xšaθrapāの訛(なま)り。サトラップ制は同朝以前に始まるが、ダリウス1世(在位前522~前486)が整備確立した。普通ペルシア人王侯貴族が任命された。中央から派遣された監視官および駐在軍司令とともに中央政府に直属し、それぞれ独立した権限をもって属州を統治した。この制度は属州の支配力の分散を図ったものであるが、サトラップの権限は徴税権をはじめ強大であり、世襲化も進んだため、後期にはよく中央から離反した。サトラップの数はダリウス1世の時代には20余であったが、帝国の版図および属州の編成替えで増減した。この制度は同朝以降も長く東洋で継承された。
[奥西峻介]
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サトラップ【satrap】
ペルシア帝国の州総督の称号。サトラップの語源であるギリシア語のサトラペスsatrapēsは,〈帝国守護者〉を意味する古代イラン語クシャスラパーワンkhshathrapāvanに由来する。キュロス2世のときに征服地の管理のために置かれ,ダレイオス1世の行政改革において制度化された。ヘロドトスによればダレイオスは帝国に20州を設置したというが,その数や境界は時期によって変遷した。サトラップは王の代理として州の行政,治安,裁判をつかさどり,州民の召集軍を指揮し,定められた額の税を徴収して王に納めた。
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サトラップ
Satrap
アケメネス朝の地方長官。ダレイオス1世の諸国征服後,全土を20余のサトラッピ(州)に分け,各州にサトラップ(知事)を任命して統治に成功したが,のちに門地高く権限大なる者が離反し,衰退の一原因となった。
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サトラップ
satrap
アケメネス朝の属州に置かれた行政長官職
もとは「国土の守護者」の意。この王朝の始祖キュロス2世が全国を多くの州に分け,ダレイオス1世が各州の長官としてサトラップを置き,中央集権体制を完成。帝国が衰退すると兵権を握り事実上独立していった。
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世界大百科事典内のサトラップの言及
【ペルシア帝国】より
…統一を再建した彼は,新都ペルセポリスの造営とともに,統治組織の再編成に着手した。サトラップ制や税制の改革,欽定貨幣の鋳造,駅伝制と行政通信体系の整備など,彼の施策によって中央集権体制は強化され,その後2世紀にわたる帝国支配の基礎が確立された。 前5世紀に入ると,イオニア諸都市の反乱(イオニア反乱)を契機としてギリシアとの対立が生じ,ペルシア戦争が起こった。…
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