サルゴン2世(読み)サルゴンにせい(英語表記)Sargon II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サルゴン2世」の意味・わかりやすい解説

サルゴン2世
サルゴンにせい
Sargon II

[生]?
[没]前705
アッシリア帝国の王 (在位前 722~705) 。サルゴンはアッシリア語シャルル=キン (「王は正統」の意) のヘブライ語読み (イザヤ書 20・1) 。アッシリア北部と東部の諸部族の圧力を完全に封じ,アッシリア帝国最後の王朝 (前 609滅亡) を創始した。クーデターで廃された前王シャルマネゼル5世の弟との説もある。前 721年シリアの反アッシリア連合と戦い,前 714年ウラルトゥに侵入,その都を占領,前 713~712年ムシュクと近隣部族およびウラルトゥの同盟を切りくずし,同じく前 713年アシュドドを盟主とした反アッシリア連合を粉砕,前 710年長年攻めあぐんだバビロニアからカルデアの指導者メロダク=バラダン2世の勢力を一掃するとともに,前 707年新興勢力,キンメリ人を西方へ駆逐した。彼はニネベの東 16kmに新首都ドゥル・シャルルケーンを建設,今日コルサバードとして知られている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サルゴン2世」の解説

サルゴン2世(サルゴンにせい)
Šarru-kîn Ⅱ[アッカド],Sargon Ⅱ[ヘブライ,英]

(在位前722/前721~前705)

アッシリアの最盛期サルゴン朝の創始者。ただし彼が王位簒奪者であったか否かについては説が分かれる。シリア・パレスチナ連合軍を打ち破ってイスラエル王国を滅ぼした後,アナトリアアルメニア(ウラルトゥ)に遠征,さらにバビロニアを併合した。彼が造営した首都ドゥル・シャルキン(「サルゴンの砦」の意。現コルサバード)は,19世紀末の発掘で有名になった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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