イギリスの生化学者。ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジで学び、ケンブリッジ大学生化学部で1943年学位取得。1951年より医学研究会議(MRC:Medical Research Council)研究員。1962年以来ケンブリッジのMRC分子生物学研究所で研究に従事していたが、1983年に引退。以後研究にはかかわっていない。1945年にタンパク質の末端のアミノ酸残基のα(アルファ)-アミノ基をジニトロフェニル基で標識して末端アミノ酸を決定する方法を発見し、同法を基本に、酸や酵素による加水分解、各種クロマトグラフィー、電気泳動などを駆使して、1955年までに膵臓(すいぞう)のホルモンタンパク質インスリンのアミノ酸配列とシステインのS‐S結合の位置を決定、初めてタンパク質の構造解明に成功し、1958年ノーベル化学賞を受賞。こののち核酸の塩基配列決定の研究をはじめ、32P(トレーサーの一種)で標識したリボ核酸(RNA)を使って構造決定を行う方法を開発、RNA構造決定に広く使われ、1975年には、デオキシリボ核酸(DNA)複製酵素、32Pで標識した核酸基質、DNA阻害剤(2´,3´-ジデオキシヌクレオシド三リン酸)、ゲル電気泳動法を巧みに組み合わせた画期的なDNAの塩基配列迅速決定法であるジデオキシ法dideoxy method(サンガー法ともいう)を考案し、1980年二度目のノーベル化学賞をアメリカのギルバートWalter Gilbert、バーグとともに受賞した。1986年にはその研究上の功績により、メリット勲位(イギリスの文武に殊勲のあった24人に限って与えられる)を授与された。1993年にはサンガーの名を冠したサンガー・センターがケンブリッジに設立されたが、同所は、人間の染色体上にあるDNAの塩基配列を決定するヒトゲノム解析計画のイギリスにおける拠点となった。
[梶 雅範]
『Frederick Sanger, Margaret Dowding edSelected Papers of Frederick Sanger, with Commentaries World Scientific Series in 20th Century Biology, vol.1(1996, World Scientific)』
家族計画運動(当初は産児制限運動)の提唱者。アメリカ、ニューヨーク州生まれ。小学校教員をしたのち看護学校を卒業、結婚、3児の母となる。ニューヨーク市のスラム街で保健看護師として働くなかで多産と貧苦の悪循環を痛感。避妊についての研究を行い、1914年、産児制限連盟を結成して機関紙『婦人の反逆』the Woman Rebel(のち『産児制限評論』the Birth Control Review)を発刊。1916年ニューヨーク市ブルックリンにアメリカで初めての産児調節相談所(マザーズ・クリニック)を開設。1921年には全米産児制限連盟を設立。当時アメリカでは避妊が禁止されていたので、しばしば逮捕されたが屈することなく、アメリカ国内のみならず海外を広く旅行して産児制限の指導、啓発にあたった。1922年(大正11)各国遊説の途次、来日。日本官憲の妨害にあった。なおその際、山本宣治(せんじ)にも影響を与えている。その後アメリカ家族計画連盟名誉会長就任(1942)、国際家族計画連盟の名誉会長(1952)。1955年(昭和30)に再度来日、日本家族計画連盟発足を祝った。その後も数度来日。『結婚の幸福』(1926)、『わたしの産児制限運動』(1931)、『自伝』(1938)などの著作がある。
[小倉襄二]
アメリカの産児制限運動指導者。看護婦学校を終了,結婚し3児をもうけた後,1910年ごろからIWWの労働運動などにたずさわった。ニューヨークのスラム街で看護婦として働くうちに,貧しい女性が多産や中絶で命を縮めるのを見て,女性を救うのは労働運動ではなく避妊の情報であると考え,産児制限運動を始めることを決意。14年,産児制限運動誌《女性反逆者》を発刊し,産児制限birth controlの語も考え出した。しかし当時,避妊の情報はわいせつとみなされ,コムストック法がわいせつ文書の郵送を禁じていたため,サンガーは告発され,ヨーロッパに逃れて1年間,避妊に関する思想と方法を学んだ。16年,ニューヨークに産児制限相談所を開いたが,官憲により閉鎖され,彼女は投獄された。出所後の21年,第1回アメリカ産児制限会議開催にこぎつけ,23年には医師を置いた産児制限診療研究所を開設した。カトリック教会などの強固な反対はあったが,産児制限は支持者を増やし,30年代末までに,産児制限の合法化を獲得し,産児制限相談所も全国各地に開設された。サンガーは運動を国外にも広げ,とくに第2次大戦後は国際的な家族計画運動の指導者となった。日本の人口問題にも関心を寄せ,1922年に訪日したほか第2次大戦後も数回日本に来ている。彼女は今日の世界における産児制限普及の最大の貢献者といえるが,産児制限を女性の肉体的自立としてとらえ,根本的な生物的次元で女性解放を考えた点で,今日のウーマン・リブの先駆者でもあった。
執筆者:有賀 夏紀
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イギリスの生化学者.ケンブリッジの St.John's College に学び,1943年A. Neubergerのもとでリシンの代謝に関する研究で博士号を取得.同年タンパク質構造の研究を開始し,1951年より医学研究会議(MRC)のスタッフとして研究,1962年新設のケンブリッジMRC分子生物学研究所タンパク質化学部長に就任し,核酸の塩基配列研究を開始した.長鎖状タンパク質の構造決定法としてジニトロフェニル(DNP)法を1945年に考案.この方法でウシのインスリンの化学構造を明らかにし (1955年),タンパク質の化学構造研究への道を開いた.この業績により,1958年ノーベル化学賞を受賞し,1980年には核酸の塩基配列決定への貢献により,二度目のノーベル化学賞を受賞.1983年に引退.
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1883~1966
アメリカの産児制限運動家。看護婦として,産児制限が女性の健康と自由を守ることを痛感。1916年に全米初の産児制限クリニックをニューヨークに開き,21年に全米産児制限連盟を創設。産児制限運動をヨーロッパ,アジアにも広めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…M.サンガーが提唱したバース・コントロールbirth controlの訳語で,人為的に妊娠を避け,あるいは人工妊娠中絶などによって人口を制限することをさす。ただ人口を減少させるのが目的ではなく,人間文化の発展につれて自分の境遇を自分の手で変えていく一つの方法として重要な意義がある。…
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