ロシアの小説家。ペテルブルグ理工科学校造船学科に在学中から社会民主党員として革命運動に加わり、一時流刑に処せられた。1908年から雑誌に作品を発表しはじめ、中編『ある地方の物語』(1912)、『地の果てで』(1914)では、地方の生活をグロテスクな話体で描いた。15年に砕氷艦建造のためイギリスに派遣されるが、革命勃発(ぼっぱつ)を知り17年秋に帰国、そのころから本領を発揮しだす。イギリス紳士の偽善を痛烈に暴いた中編『島の人々』『人間狩り』(ともに1918)は、ゴーゴリ、レスコーフの伝統を受け継ぎ、ベールイ、レーミゾフの影響を受けた、律動的・交響的でグロテスクな「語り」の文体(いわゆるオーナメンタリズム)を明確にした。『竜(りゅう)』(1918)、『ママイ』『洞窟(どうくつ)』(ともに1920)、『洪水』(1929)などの作品は、ファンタジーを通じて、それによりかえってよりリアルに革命直後の都市市民の日常生活を描き出している。政治宣伝を排し、芸術の自律を目ざした作家グループ「セラピオン兄弟」の領袖(りょうしゅう)として、若い作家を鼓舞、育成する役割も果たした。アンチ・ユートピア小説『われら』(1920執筆、1924英訳)は合理主義の行き着く果ての全体主義社会を予測した。スターリニズム体制の強まりゆくなかでしだいに仕事がしにくくなり、ことに29年『われら』のチェコ語訳からのロシア語訳がプラハで出版されたため、激しい非難にさらされ32年パリに亡命した。なお戯曲や評論にも優れた作品がある。
[小平 武]
『小笠原豊樹訳「われら」(『世界の文学4 ザミャーチン/ブルガーコフ』所収・1977・集英社)』▽『川端香男里訳「洞窟」(『現代ロシア幻想小説』所収・1971・白水社)』▽『水野忠夫訳「島の人々」(『現代ソヴェト文学18人集1』所収・1967・新潮社)』
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… 第2には,反ユートピア(ディストピア)論の登場である。J.ロンドン《鉄のかかと》(1907),E.I.ザミャーチン《われら》(1924),A.L.ハクスリー《すばらしい新世界》(1932),G.オーウェル《1984年》(1949)などの代表例が挙げられる。これらは,理想国家として建設されたはずのユートピアが,かえってその強大な支配力によって人間を不自由化する,というモティーフにもとづいており,社会主義計画経済やケインズ主義政策などの定着の反面であらわになった矛盾に,敏感に反応した文学的表現といえる。…
※「ザミャーチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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