精選版 日本国語大辞典 「ザルツブルク」の意味・読み・例文・類語
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オーストリア中部、ザルツブルク州の州都。ザルツァハ川に臨む標高425メートルの地にあり、ドイツとの国境に近い。人口14万2662(2001)。標高542メートルのメンヒスベルク山上に町の象徴であるホーエンザルツブルク城があり、ここから市街と周辺の山地を展望できる。南ドイツとウィーンを結ぶアウトバーンおよび鉄道が通り、国内交通上の要点を占め、ヨーロッパ有数の観光都市である。ローマ時代は塩、鉱産物の交易の中心であり、8世紀末には大司教管区首都となり、カトリック文化の中心都市として現在に至る。市内にはバロック様式、ゴシック様式などの建造物が多く残る歴史地区があり、1996年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。モーツァルトの生まれた町として知られ、モーツァルトの生家(博物館)、モーツァルテウム音楽学校がある。毎年夏に開かれるモーツァルトの作品を中心としたザルツブルク音楽祭は有名で、世界各地から聴衆が集まる。総合大学も所在する。
ザルツブルク州は、面積7154平方キロメートル、人口51万8580(2001)。西隣のチロール州ほどではないが、州の大部分はホーエ・タウエルン山脈、ニーデレ・タウエルン山脈、北部石灰岩アルプスに占められる山岳州である。この州のアルム(高山放牧地)面積は、オーストリアの全アルム面積の5分の1を占めることにみられるように、牧畜が州産業の主体であるが、銅、マグネサイト、大理石など、地下資源も多い。ほかに、タウエルン山脈の峠越えの交通輸送が、州の産業を特色あるものとしてきた。工業では、古くからの木材加工業に加えて、鉄・金属工業、繊維工業が盛んである。
[前島郁雄]
かつて古代ローマの町がこの地に所在したが、8世紀の修道院と大聖堂の建立によって都市の基礎が築かれ、そのころから商人の定住も進み、996年には市場開設権=貨幣鋳造権を獲得した。1077年から膨大な歳月を費やして城塞(じょうさい)ホーエンザルツブルクが構築され、12世紀には市域はザルツァハ川対岸に拡大し、13世紀なかばには市壁が築かれて市参事会制度が成立した。16世紀、市民たちは司教の支配権から独立しようと試みたが、これは挫折(ざせつ)した。しかしこのころから一方では商業による経済的繁栄、他方では大司教の庇護(ひご)下のバロック文化の隆盛をみ、1623年には大学も開設された。18世紀にはモーツァルト父子が大司教の宮廷作曲家として活躍する。19世紀初頭にオーストリアへの併合、大学の廃止(1964再開校)や政治的中心としての機能の喪失によりやや衰退に向かったが、第一次世界大戦後、ザルツブルク音楽祭(1920年以降)やこれに伴う外国人の訪問、工業化の進展によりふたたび活況を呈するようになった。
[末川 清]
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オーストリアの西部国境ザルツァハ河畔の都市。アルプス山麓で,盛んな岩塩(ザルツ)採掘からその名がある。700年頃司教座,798年大司教座が置かれた。大司教領は1803年世俗化,05年オーストリア領となる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…中世,ルネサンスにあってはハプスブルク家の勢力安定とともに,ウィーンの宮廷と教会に音楽文化が栄えた。とくにバロックになるとウィーン,ザルツブルクには,イタリア文化の影響の下にドイツ語圏で最も充実した新文化の中心が生じた。建築でそのことは今日なお明らかにみられる。…
※「ザルツブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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