精選版 日本国語大辞典 「ザンビア」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
アフリカ大陸南部の内陸に位置する共和国。正称はザンビア共和国Republic of Zambia、独立以前は北ローデシアと称した。国名は国内最大の河川、ザンベジ川に由来する。北はコンゴ民主共和国、タンザニア、東はマラウイ、モザンビーク、西はアンゴラ、南はナミビア、ボツワナ、ジンバブエと国境を接する。1964年10月24日、イギリスから独立。首都はルサカ。中央、コッパーベルト、東部、ルアプラ、ルサカ、ムチンガ、北部、北西部、南部、西部の10州からなる。面積75万2610平方キロメートル、人口約1838万人、人口密度24.7人/平方キロメートル(2020世界銀行)。通貨はザンビア・クワチャ。公用語は英語。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
中央アフリカ高地に位置し、国土の大部分は標高約900~1400メートルに位置する。国内でもっとも標高が高いのはマラウイとの国境に位置するマフィンガ丘陵(2339メートル)であり、東部には標高1700~1900メートルのムチンガ山地がある。
内陸国であるが、国内には豊富な水域が存在する。最大の河川であるザンベジ川は、ザンビア北西部に源流をもち、アンゴラ、ザンビアを経て、モザンビークからインド洋に流れ込む。河川全体の集水域は約140万平方キロメートルに及ぶ。ザンベジ川上流には広大なバロツェ氾濫原が形成されている。上流域と中流域の間には、幅約1700メートル、落差最大108メートルのビクトリア滝(周辺に居住するトンガ<民族>のことばでは「雷鳴のとどろく水煙(モシ・オ・トゥニャMosi-oa-Tunya)」とよばれる)がある。ビクトリア滝は世界三大瀑布(ばくふ)の一つであり、1989年にはユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の自然遺産(世界自然遺産)に登録された。滝の名称は、1855年にヨーロッパ人として初めて滝を訪れた探検家リビングストンにより、当時のイギリス女王にちなんでつけられた。ザンベジ川の中流域にはダム建設によって1950年代後半につくられたカリバ湖がある。国内北部にはコンゴ川水系に属するバングウェウル湖、ムウェル湖、タンガニーカ湖などがある。
ケッペンの気候区分によると大部分が温暖湿潤気候、一部は熱帯サバナ(サバンナ)気候や半乾燥のステップ気候である。季節は11月から4月までの雨期、5月から10月までの乾期に大まかに区分されるが、年や地域によって前後する。森林の大部分は疎開林であり、とくにミオンボ林とよばれるブラキステギア属などが優占する植生が代表的である。そのほかにアカシア属が優占するムンガ林やモパネが優占するモパネ林もある。広くみられる土壌としては、フェラルソルとアクリソル、ルビソルがある。国土の約30%が国立公園や動物保護区に指定されており、サウス・ルワングワ国立公園やカフエ国立公園ではライオンやゾウ、カバ、アンテロープ亜科の動物など多くの野生動物が生息している。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
現在ザンビアとなっている地域には、南北からさまざまな集団が移入してきた歴史がある。たとえば、ザンビアの主要なエスニック集団であるベンバは、アンゴラやコンゴ民主共和国付近でかつて繁栄したルバやルンダにルーツをもち、16世紀ごろにザンビア北東部に移動し、19世紀までには周辺諸民族を支配下におく王国を築き上げた。また、同じくルンダやルバにルーツをもつロジは、17世紀終わりころにはバロツェ氾濫原に移動し王国の原型を築いていた。そのほかにも、南部には12~13世紀ころからトンガ(民族)が居住していたと考えられている。
19世紀以前にも、ポルトガル人やアラブ人が交易の目的で往来してきたが、セシル・ローズ率いるイギリス南アフリカ会社British South Africa Company(BSAC)が領土の拡大や資源の探査を目的として北進してきたことにより植民地化が進むこととなる。BSACは1890年、西部に居住していたロジの王と協定を結んだのを皮切りに、各地で諸集団の王や首長と協定を締結し、勢力下においた。ローズは、鉱物資源が豊富なカタンガ(現、コンゴ民主共和国南部)への進出も目論(もくろ)んでいたが失敗したため、ザンビアがBSACの支配の北縁となった。1924年にはBSACから植民地省の管轄下に移行し、イギリスの直轄植民地、北ローデシアとなった。
1920年代後半以降、銅鉱山の発見によって大規模な鉱山開発が行われるようになると、それまで南ローデシアへの労働力供給地とされてきた北ローデシアの位置づけが一転し、イギリスの植民地支配における重要性が高まった。鉱山開発に伴い、アフリカ人の非就農人口も増加した。これに伴い、彼らの食糧需要を満たすため、主食作物であるトウモロコシ生産の商業化が開始された。農作物の輸送に有利な鉄道沿線は「王領地」に指定され、ヨーロッパ系入植者(「白人」)による大規模農業が発展した。植民地政府は、家屋税や人頭税を導入することにより、それまで自給自足的な生活を営んでいた人々に現金収入が必要な状況をつくり出し、鉱山や商業的農業に必要な労働力として調達した。
1953年にはローデシア・ニアサランド連邦(イギリス領中央アフリカ連邦)が結成された。これは、南ローデシア(現、ジンバブエ)の製造業や商業的農業、北ローデシアの銅鉱業と労働力、ニアサランド(現、マラウイ)の労働力という経済的に相互依存関係をもつ3地域を政治的に統合し、効率的に経済を成長させるねらいがあった。1955年、連邦の首相は南北ローデシアにまたがるザンベジ川中流のカリバ地域においてダム建設を進めることを発表した。これによりカリバ湖およびカリバ・ダムがつくられ、今日でもザンビアの主要な電力源となっている。一方、湖・ダムの建設により、流域で生活を営んできた約5万7000人ものトンガ(民族)の人々が移住を強いられた。
連邦結成は、北ローデシアのアフリカ人にとっては南ローデシアの白人入植者による支配の強化としてとらえられ、1950年代末以降には連邦反対運動が活発化した。1960年前後のアフリカ諸国の独立も後押しとなり、ケネス・カウンダ率いる統一民族独立党United National Independence Party(UNIP)が1964年1月の普通選挙で勝利した。1964年10月にはザンビア共和国として独立、カウンダは初代大統領となった。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
ザンビアは共和制国家であり、元首は大統領(任期5年)、議会は一院制の国民議会(議員任期5年)である。大統領は国民の直接選挙により選ばれる。
独立当時は複数政党制を採用していたが、西部州を基盤とした野党、統一党United Party(UP)の台頭などによる支持基盤の弱体化を懸念したカウンダ政権は、1972年に一党制への移行を決定し、1973年に新憲法が制定された。しかし、経済の停滞や国営企業による汚職などを背景として政権への批判が高まり、1991年には複数政党制のもとで総選挙が実施され、複数政党制民主主義運動Movement for Multiparty Democracy(MMD)が勝利、フレデリック・チルバFrederick J. T. Chiluba(1943―2011)が2代目大統領となった。
複数政党制は実現したものの、チルバは前政権と同様に大統領がもつ強大な権力を行使し、中央集権的・家産制的な支配を続けた。2001年、チルバの任期満了(在任中に憲法を改正し大統領の任期を5年、2期とした)に伴う大統領選にて、MMDから後継者として指名されたレビー・ムワナワサLevy P. Mwanawasa(1948―2008)が大統領に就任した。ムワナワサは前政権の汚職を追及するなど政治・経済の再編に尽力し、2006年の選挙でも再選されたが、2008年6月、外遊中に脳卒中で緊急入院し、同年8月に死去した。大統領補欠選挙により、当時副大統領であったルピア・バンダRupiah B. Banda(1937―2022)が大統領に選出された。
2011年9月にはマイケル・サタMichael C. Sata(1937―2014)率いる愛国戦線the Patriotic Front(PF)が大統領選と国会議員選挙で勝利し、複数政党制導入以降、政権を担ってきたMMDとの政権交代が実現した。サタは、中国との関係を強化し、雇用創出や産業開発、経済多角化などに取り組んだが、2014年10月、病気のため死去した。補欠選挙までの間は当時副大統領であったガイ・スコットGuy L. Scott(1944― )が暫定大統領に就任した。2015年の補欠選挙により、与党PFから出馬し、当選したエドガー・ルングEdgar C. Lungu(1956― )が大統領となった。2021年8月に実施された選挙においては、野党の国家開発統一党United Party for National Development(UPND)の党首、ハカインデ・ヒチレマHakainde Hichilema(1962― )が大差で勝利し、第7代大統領となった。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
独立以降、カウンダはヒューマニズム社会主義を掲げ、基幹産業の国有化を進めた。たとえば、他のアジア・アフリカ諸国と同様に、「輸入代替工業化」に基づく産業開発を進めたり、鉱山会社の株式の50%以上を政府が取得したりするなど、国家による産業開発への強い介入が進められた。これによりコッパーベルトやルサカを中心とした都市部で雇用機会が増加し、都市化が進展した。独立後に台頭したザンビア人エリート層や都市住民の生活の安定は、政治的にも重要となり、政府は都市消費者物価を補助金や物価統制によって管理し、都市住民の生活を安定させる政策を実施した。たとえば、1969年に設立された「国家農業マーケティング・ボードNational Agricultural Marketing Board」により主食作物であるトウモロコシが独占的に売買されたほか、投入財(中間財)や生産財の流通も一元的に管理された。また、1970年代初頭には全国均一固定価格制度も導入された。国家による強い介入やこれらの農業補助金の増加は、1970年代前半まで国際的に価格が高騰し好調であった銅の輸出に支えられていた。
1970年代後半以降、銅価格の低迷や対外債務の増加により経済は危機的な状況に陥った。国際通貨基金(IMF)や世界銀行の支援のもとに実行していた構造調整政策(政府部門の縮小や経済自由化など)をカウンダ政権は一旦放棄し、政府独自の新経済復興計画New Economic Recovery Programmeを発表したが、経済悪化を背景とした国民の不満は高まり、1991年には政権交代が実現した。
チルバ政権は、構造調整計画を本格的に実施し、トウモロコシや肥料の流通自由化や補助金の撤廃、国営企業の民営化を進めた。構造調整の実施により、農村部では野菜などの農作物の商業化や非農業活動の活発化が生じるなど、地域により異なる影響が生じた。一方、都市部では公的部門の縮小による雇用の減少や社会サービスの縮小などを背景として都市住民の生活水準は低下し、インフォーマル部門(露天商や行商などに代表される公的な枠組みに捕捉されないさまざまな経済活動)への参入が増加した。また、この時期には都市部から農村部への人口流出も進んだ。
2000年以降は、銅価格の上昇、銅産業の民営化、債務帳消し措置などを背景として経済が成長した。2001年から2010年までのGDP(国内総生産)成長率の平均は7%以上という高水準を記録した。ザンビアは中国のアフリカ進出における重要な拠点にもなっており、中国による直接投資や企業進出も増加した。他方、2011年以降は銅価格の下落や対外債務の増加により経済成長率は低迷している。1人当りGNI(国民総所得)は2014年の1800ドルをピークに減少し、2020年は1160ドルである(世界銀行の分類では低中所得国)。2020年には新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行による影響も受け、財政が悪化し、債務不履行の状態に陥った。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
ザンビア政府によれば国内には73のエスニック集団がおり、それぞれに固有の文化や言語を有している。公用語は英語である。それ以外に主要な7言語(ベンバ語、カオンデ語、ロジ語、ルンダ語、ルバレ語、ニャンジャ語、トンガ語)が教育やメディアなどで使用されている。ベンバ語やニャンジャ語はとくに話者人口が多く、都市部でも異なるエスニック集団間の共通語として用いられる。東部州ではチェワ、西部州ではロジ、南部州ではトンガ、北部州ではベンバのように、エスニック集団の分布には流入の歴史からくる地域性もみられる。一方、集団間の通婚も多くあり、都市化も進んでいることから英語も含めて複数の言語を使用できる者が多い。
初・中等教育は初等7年、中等5年(前期2年、後期3年)で構成されている。各学年はグレード(Grade1~12)とよばれ、グレード5から英語での教育に切り替わる。グレード7、グレード9の修了時に全国統一試験があり、進級・進学に関する選抜が行われる。グレード12修了後にも高等教育への進学を左右する統一試験がある。高等教育機関には大学・短大・高等職業訓練校などがあり、ルサカやコッパーベルト州の大都市などに立地している。2002年以降、初等教育の無償化が実施され、就学率は向上したが、教室・教員数と通学する生徒の数が見合っていないため、午前の部の生徒、午後の部の生徒といったように、同じ学年でも複数の部に分かれて通学し授業を受ける体制になっている学校も多くある。
人口の約95%(2010)がキリスト教徒であり、憲法前文にはキリスト教国家であることが明記されている。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
ザンビアが独立した1964年10月24日は、東京オリンピックの閉会式当日であった。開会式では北ローデシア代表として出場していた選手団が閉会式にはザンビア国旗を掲げて登場したことは、日本でも話題となった。日本はザンビアの独立と同時に承認し、それ以降、両国の関係は続いている。
日本からの輸入は38.8億円、主要品目は車両および部品、タイヤ、建設用・鉱山用機械などである(2020)。日本への輸出は19.8億円、主要品目は銅、コバルト、タバコなどである(2020)。
ODA(政府開発援助)については、無償資金協力・技術協力を中心に、モノカルチャー経済脱却を目ざした産業の活性化や、経済活動の基盤となるインフラ、社会サービスの向上に対する支援が実施されている。たとえば、内陸国のザンビアでは陸路による物資の輸送が重要であるが、出入国の手続には多くの時間・労力を要していた。そこで日本は、ザンビア―ジンバブエ国境のチルンドや、ザンビア―ボツワナ国境のカズングラでの橋梁建設と国境管理施設の建て替え、手続迅速化に向けた支援を実施した。
[伊藤千尋 2022年6月22日]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
南部アフリカの共和国。旧北ローデシア。世界有数の産銅国。首都ルサカ。ベンバ人,ビサ人,トンガ人,ロジ人などが住む。1889年発足したイギリス南アフリカ会社の植民活動の結果,1911年ザンベジ川以北の領土が北ローデシアとなる。53年ローデシア・ニヤサランド連邦の一部となるが,63年同連邦は解消し,翌年独立。90年複数政党制が導入され,翌年の大統領選でカウンダ初代大統領が敗れた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新