精選版 日本国語大辞典 「シク戦争」の意味・読み・例文・類語
シク‐せんそう ‥センサウ【シク戦争】
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イギリス東インド会社軍とシクSikh王国との間で2次(1845~46、1848~49)にわたって戦われた戦争。これに勝利したイギリスはインド植民地化の過程を完了した。シク教徒の勢力は、インド北西部のパンジャーブ地方を中心として、ムガル帝国と激しい抗争を繰り返しながら強大になっていった。19世紀の初め、ランジート・シングRanjīt Singh(1780―1839)が出て、シク諸勢力を統合し、強大なシク王国を形成した。しかし彼の死後、シク王国は分裂的様相を示し始めた。フランスをプラッシーの戦い(1757)で破って以降、インド全域にわたって征服を推し進めてきたイギリスは、この機に乗じて二度の戦争をしかけて、シク王国を最終的に滅ぼした。これによって、インドにはイギリスに敵対する勢力がなくなり、イギリスによるインド植民地化の大枠が完成した。
[小谷汪之]
1845~46年,48~49年の2回にわたって,イギリスとパンジャーブを拠点とするシク王国との間で戦われた戦争。39年,建国の英雄ランジト・シングが死ぬと,シク王国では深刻な後継者争いが表面化した。イギリスはシク王国を挑発し,戦争を仕掛けるように仕向けた。シク軍はヨーロッパ式の歩兵隊と砲兵隊を持つなど強力だったが,指導者を欠いていた。戦争はイギリスの勝利に終わり,シク側は屈辱的な講和条件をのまされた(第1次シク戦争)。48年,イギリスに不満を持つシク教徒が反乱を起こし,再び戦争が始まったが,この戦いにもイギリスが勝利した(第2次シク戦争)。この結果パンジャーブはイギリス領インドに併合され,イギリスはインド全域の支配権を確立した。シク戦争はイギリスがインドで行った最後の征服戦争である。
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