シベリア(英語表記)Siberia

翻訳|Siberia

デジタル大辞泉 「シベリア」の意味・読み・例文・類語

シベリア[菓子]

《語源未詳。「シベリヤ」とも》羊羹ようかんカステラではさんだ菓子。羊羹の代わりに小豆餡あずきあんを用いる場合もある。

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精選版 日本国語大辞典 「シベリア」の意味・読み・例文・類語

シベリア

  1. ( Siberia )
  2. [ 1 ] ユーラシア大陸北部、ウラル山脈から太平洋岸に至るロシア連邦領アジアの総称。ロシア全土の約五七パーセントを占める広大な地域で、豊富な地下資源森林資源にめぐまれ、南部のシベリア鉄道沿いに開発が進められている。ロシア語名シビーリ。
  3. [ 2 ] 〘 名詞 〙 カステラの間に羊羹をはさんだ菓子。
    1. [初出の実例]「シベリヤと称する、カステラの間に白い羊羹を挿んだ、三角型のもの」(出典:ロッパ食談(1955)〈古川緑波〉甘話休題II )

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改訂新版 世界大百科事典 「シベリア」の意味・わかりやすい解説

シベリア
Siberia

ロシア連邦の中部から東部にかけての広大な地域。西はウラル山脈から東は太平洋岸まで,また北は北極海岸から南はカザフスタン共和国のステップ地帯の山地とモンゴル国および中国との国境までの北アジア地域の大部分を占め,面積約1380万km2。アメリカ合衆国とヨーロッパ(旧ソ連の領域を除く)を合わせた広さにほぼ匹敵する。ロシア語ではシビーリSibir'といい,この名称は16世紀にトボリスク付近でエルマークに撃破されたシビル・ハーン国に由来する。かつてのロシア人にとっては,シベリアは〈ウラルを越えたところ〉であったが,彼らの東漸にしたがってその領域も拡大した。しかし現在ロシアの行政区分では,ウラル山脈からエニセイ川までが西シベリア,その東方太平洋斜面の河川の分水嶺までが東シベリア,それ以東は極東地方とされ,この極東地方はシベリアに含められていない。

地形上西シベリア低地中央シベリア高原,南シベリア山地および東北シベリア山地の4地域に大別される。分水界が南に寄っていて,北の北極海までが一帯に低地で,その間をオビ川,エニセイ川,レナ川など世界でも十指に入る大河が北に流れている。西シベリア低地は低く平らな湿地で,乾燥したカザフスタンのステップから氷で覆われた北極海沿岸まで続く広大な構造平野である。アルタイ山脈を源とし北極海に注ぐオビ川の排水盆地でもあり,この低地は世界で最も大きな平野の一つである。西シベリア低地はロシア連邦のヨーロッパ部分に比べるとずっと大陸性の気候で,冬季の気温が低く,夏季と冬季の間の気温差が大きい。例えば緯度を同じくするトムスクモスクワの月平均気温は,7月には等しく24℃であるが,1月には-16℃と-11℃であり,トムスクでは10月から3月までの半年間雪が残っている。極北地方の北極海沿岸にはツンドラ地帯が北東に延びている。そこには地衣類や蘚苔類だけが生育し,永久凍土地帯である。その南に森林ツンドラとさらに針葉樹の森林帯が続く。これはタイガと呼ばれ,西シベリア低地の3分の2を占める。エゾマツハリモミ,アカハリモミ,カラマツ,シベリアマツなどが密生し,南端部にはシラカバやヤナギ類がある。降水量は少ないが水はけが悪く,蒸発も少ないので低地の大部分が湿地になっている。

 西シベリアの南部はシラカバやポプラの森林ステップである。そこには多くの人が住み,経済的にもシベリアで最も発展した所である。肥沃な黒土が農業を促進させ,繰り返し干ばつに見舞われる危険もあるが,ソ連政府は1950年代の中ごろそこで耕地拡大の一大プログラムを展開した。イシム・ステップIshimskaya step',バラビンスク・ステップ,クルンダ・ステップKulundinskaya step',アルタイ・ステップなどが主要な農耕地帯となっている。

 この西シベリア低地は,モンゴルとの国境に近いアルタイ山脈まで続いている。アルタイ山脈の北と西の斜面は深く茂った森林で,高地放牧地帯がそれに続く。アルタイ山脈の南東部は降水量が少なく,乾燥した土地である。アルタイ山脈はオビ川とその支流のイルティシ川の源になっている。エニセイ川とレナ川にはさまれた部分は中央シベリア高原で,タイガに覆われ,豊かな鉱物資源を抱いている。シベリア,極東地方の河川のほとんどは,約半年の間凍結する。例えばレナ川は10月中旬から5月中旬まで凍結し,船舶の航行が不可能となる。極東地方は主として山地からなり,東西に延びたアムール川の河谷に平地が見られる。

シベリア,極東地方の人口密度はきわめて低く,人口の大部分はシベリア鉄道沿線に集中した。人口の分布はきわめて多様で,鉄道のほかに河川の流水,永久凍土および気象条件が大きく影響している。第2次世界大戦後,とくに1950年代の後半から水力発電所建設をはじめとするさまざまのプロジェクトが進行し,ヨーロッパ・ロシアからの人口移動が急増した。それはコムソモール員を主体とする青年層であり,全世界の平均年齢の若い都市を列挙したとき,上位に並ぶほとんどすべてがシベリアの都市である。このように,資源開発に伴う住民分布変動の波は,84年完成のBAM(バム)(バイカル・アムール鉄道)の沿線に押し寄せている。古くからシベリア文化の中心であったイルクーツクオムスクよりも後発のノボシビルスク(137万,1995年)のほうが人口が多く,ほかに主要都市としてクラスノヤルスク,ウラジオストク,バルナウル,ハバロフスク,ケメロボ,トムスクなどがある。また,1957年にはロシア科学アカデミー・シベリア支部のアカデムゴロドク(学術都市)ができ,学術・文化の中心となった。

 1989年の旧ソ連で最後のセンサスによれば,シベリアの総人口は3210万人に及ぶが,そのうちロシア人その他のスラブ系住民などが95%を占め,先住民族は162万人弱(5%)である。先住民族は数十に上り,中には1000人以下の少数民族も含まれる。諸民族のうち人口の多いものは,ブリヤート族,ヤクート族,タタール族,トゥバ族,ハカス族などである。西シベリアにはショール,北シベリアにはネネツ,エベンキ,ハンティ,チュクチ,エベン,ナナイ,コリヤーク,マンシ,ドルガン,ニブヒ,セリクープ,ウリチ,ウデヘ,エスキモーイテリメン,オロチ,ケート,ユカギールなどの民族がいる。これら諸民族の言語はウラル語族系,モンゴル諸語系,チュルク諸語系,ツングース諸語系,旧アジア諸語系などきわめて多彩である。これら諸民族は共和国(ブリヤート,サハ(ヤクート),トゥバなど),自治州,自治管区に編成され,それぞれの文化,言語が尊重されている。これら諸民族を含めてシベリア,極東地方の住民の教育水準が著しく向上している点は注目に値する。きびしい自然条件の下での住宅建設が学校,図書館,病院,劇場,スポーツ施設などをセットにして進められている点も特徴的である。そのほか賃金,年金制度に特別の配慮が加えられているにもかかわらず,まだ住民の十分な定着率が得られないでいる。

西シベリアは今やロシアの主要農業地帯の一つである。南部で大々的に開墾が進み春まき小麦が作付けされて,ウクライナと並ぶ穀倉地帯となった。また酪農中心でもある。ヤクーチア(サハ)ではトナカイの飼育,毛皮採取が盛んであり,ザバイカル地方の馬の飼育も有名である。木材は古くからシベリア,極東地方の主要生産物であった。貯木量は旧ソ連全体の約70%に上り,とくにイルクーツク州,ハバロフスク地方で木材生産の伸び率が高い。BAMの沿線区域でも大量の木材生産が見込まれる。アンガラ河岸のウスチ・イリムスクUst'-Ilimskには大規模なパルプ・コンビナートがある。

 シベリアの製鉄業はウラル地方の鉄鉱石に依存して発展した。その後アバカン,ケメロボ州南部のゴールナヤ・ショーリヤGornaya Shoriya,ウスチ・イリムスクなどシベリア各地で鉄鉱石が採掘されるようになり,それぞれの地区に製鉄所が建設された。銑鋼一貫企業体であるノボクズネツク製鉄所はその代表的存在である。

 非鉄金属の埋蔵量も多く,安価で豊富な燃料・電力を用いて非鉄金属工業も発展している。とりわけクラスノヤルスク地方のカスミ石を用いたアルミニウム工業コンビナートは,世界最大の規模を誇っている。ノリリスクでニッケルと銅,チタ州と沿海州地方でスズと複合金属(銀,亜鉛,鉛)の採取,製錬が行われている。ヤクーチアのミールヌイでは工業用ダイヤモンドが露天掘りで採取される。ヤクーチアではまた,アルダンAldanをはじめとして金の採取が盛んである。BAM沿線のウドカンUdokanは銅鉱の埋蔵量が豊富で,近々に製銅の中心となるだろう。

 燃料・エネルギー資源の開発は最近急速に発展し,世界の注目を浴びている。シベリアにおける石炭の埋蔵は,ほとんどの火力発電所の燃料をまかなっている。クズネツク炭田,カンスク・アチンスクKansk-Achinsk,トゥバのウルグ・ヘムUlug-Khemなど,ともに将来の石炭生産の中心である。豊富な水量が安価な電力を生産していることにも注目しなければならない。西シベリアのチュメニ州に石油の埋蔵が発見されたのは1960年代の初めであるが,その生産高は69年にバクーを追い抜き,パイプライン〈ドルージバ〉によってロシアのヨーロッパ部と東欧諸国にも送られるようになった。東シベリアにも西シベリアに劣らぬ石油の埋蔵量が確認され,いずれそれも採掘が開始され始めよう。西シベリアの石油採掘により石油生産はすでに国内需要を大幅に上回り,ロシアは世界有数の石油輸出国となった。

 天然ガスの産地が北極圏内で発見されたのは1962年であるが,71年には9兆m3の埋蔵量が確認された。ヤクーチアのビリュイ川流域には総計13兆m3の天然ガスが埋蔵されていると推定されている。その後西シベリアのヤンブルグYamburg,ウレンゴイ(ウレンゴイ・ガス田)にも大量の天然ガス埋蔵が発見された。ウレンゴイの天然ガスはパイプラインによって84年1月1日からフランスに供給され始めた。そしてトボリスクの郊外には石油化学コンビナートの建設が進められている。隣のトムスク州にも石油化学の巨大企業がつくられていて,ポリエチレン,ポリプロピレン,メタノールなどの化学製品が生産される。シベリアの石油と天然ガスは埋蔵が発見されたが採掘に着手されないままのものが多く,調査の進行とともに新たな発見も続く。

 極東地方海域はロシア最大の漁場であり,サケ,マス,ニシン,タラ,サンマ,ヒラメなどの漁獲があり,カムチャツカ半島西岸,南サハリン,沿海州地方にその加工場がある。この地域ではまた,本土と千島列島,サハリンなどを結ぶ観光船が運航されている。
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百科事典マイペディア 「シベリア」の意味・わかりやすい解説

シベリア

ロシア語ではシビーリSibir'といい,名はシビル・ハーン国にちなむ。アジア大陸北部の広大なロシア領地域。普通,ウラル山脈から太平洋岸までをさすが,現在ロシアでは太平洋側の分水界以東を極東地方と呼んで区別している。北は北極海,南はカザフの草原およびモンゴルに接し,ロシアでいうシベリアの範囲は,南北約3500km,東西約7000km。約1380万km2。人口は約3200万人(1989)。西シベリア低地,中央シベリア高地,東シベリア山地に大別。大部分タイガにおおわれ,オビ川,エニセイ川,レナ川などの大河が北流する。北部はツンドラ気候,南西部はステップ気候。亜寒帯に属するタイガの気候は大陸性で,1月と7月の平均気温差は35〜68℃に達する。住民はロシア人を中核とする移住民が95%を占めるが,多種の先住民がおり,それぞれ独自の言語をもつ。また,ヤクート(サハ)族,トゥバ族,ブリヤート族などはそれぞれ共和国を形成しており,そのほかのコリヤークチュクチなどいくつかの民族については自治管区(もと民族管区)が設けられている。18世紀末には4割を占めた先住民が20世紀初めには1割余に低下したが,先住民人口の絶対数はこの半世紀に倍増し,160万人を超える(1989)。 石炭,石油,天然ガス,鉄鉱,非鉄金属(チタン,マグネシウム)などの資源に恵まれ,サハ共和国ではダイヤモンドを産する。アンガラ川,エニセイ川をはじめ諸河川の包蔵水力も巨大である。森林資源はロシア全土の80%近くを占める。第2次大戦後西シベリアのクズネツク炭田を中心に鉱工業の開発が進められ,東シベリアのイルクーツク,チタなどに化学・機械工業が興っている。元来,西シベリアを中心としていた農業面でも,近年東シベリアの開発が著しい。〔歴史〕 アンガラ川河岸に旧石器時代後期のマルタ,ブレチ遺跡があり,各地に新石器時代,青銅器時代の遺跡がある。前3世紀末匈奴(きょうど)がシベリアをその領土に加え,6世紀には南部に突厥(とっくつ)の国家が出現。13世紀にはかなりの部分がモンゴル帝国の版図に入った。ロシア人の進出は11―13世紀にさかのぼるが,16世紀末エルマーク隊長の率いるコサック隊の遠征により1598年シビル・ハーン国が滅亡して以後,毛皮獣を求めてロシア人の東方進出がすすみ,ロシア治下の先住民には毛皮税(ヤサーク)が課された。17世紀にはアムール川方面まで進出して,清国と衝突し1689年にはネルチンスク条約が結ばれ,18世紀半ばころから南シベリアのステップ地帯への入植や鉱山業も始まった。1799年には露米会社がロシアの国策会社として設立され,北太平洋地域からアラスカの植民地経営まで行った。1858年清と結んだ【あい】琿条約でアムール川左岸まで版図に入れた。この間に流刑地として強制移住も行われたが,シベリア鉄道の開通(1916年)後に飛躍的に発展。ロシア革命後,シベリア出兵など外国の干渉があったが,1922年ソビエト権力が確立,経済復興期を経て1928年に始まる第1次五ヵ年計画から社会主義建設が始まった。開発がすすむなかでトナカイ牧畜を生業とする先住民の生活圏が圧迫され,環境破壊の深刻化も大きな問題となっている。
→関連項目アジアサハストロガノフ[家]ロシア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シベリア」の解説

シベリア
Siberia

ロシア語ではシビーリ(Sibir')という。ウラル山脈の東,太平洋岸に至る北アジア地域。面積約1000万km2。大陸性気候で酷寒。北部から東西にツンドラ帯,寒帯森林帯がのび,農耕適地は西シベリアの南部にわずかしかなかったので開発が遅れた。13世紀には北辺を除くシベリアの大部分がモンゴル帝国に併合された。15世紀にキプチャク・ハン国が解体すると,シビル・ハン国が生まれた。16世紀末エルマークの遠征を機としてシビル・ハン国が滅び,17世紀から全シベリアがロシアの領土となった。この頃は毛皮獣の捕獲が魅力の的であった。以後ロシアによるシベリア経営が進む。

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リフォーム用語集 「シベリア」の解説

シベリア

マツ科カラマツ属の落葉針葉樹のひとつ、シベリヤカラマツのこと。英語表記では「Listvennitsa」であり、北洋唐松とも呼ばれる。ラーチ、グイマツ、ダフリカ、ソ連唐松、リストベンニッツアとも呼ばれる。材の性質としては、木理は通直であり、肌目は粗い。針葉樹の中では最も硬く強いもののひとつで、腐食耐久性があり、樹脂分が多いため耐水性が強く腐りにくい。乾燥はかなり早い。しかし、狂いが生じやすく、材面にヤニが滲み出てくる、日本のカラマツに比べて、やに壷、入皮、もめなどの欠点が多く出るなどの特徴がある。材面の美しさを必要としない用途、構造材や土台に使われる。ラーチとして出回っている合板はシベリヤカラマツである。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シベリア」の解説

シベリア
Siberia

ユーラシア大陸の北西部,西はウラル山脈,北は北極海,東はベーリング海にのびる地域
東西約7000㎞,南北約3500㎞。面積は日本の約35倍。大部分は北緯55度以北にあり,厳寒の長い冬が続き,20世紀初めまでは未開の地であった。ロシア人がこの地に本格的に進出するのは16世紀,イェルマークの遠征後である。19世紀半ばに全シベリアがロシア領となり,シベリア鉄道の開通後に開発が進んだ。ソ連の時代にはいり,1920年代末から五か年計画が始まり,大規模な開発が進められた。

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デジタル大辞泉プラス 「シベリア」の解説

シベリア

河邨文一郎による詩集。1997年刊行(思潮社)。1998年、第31回日本詩人クラブ賞を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のシベリアの言及

【シビル・ハーン国】より

…15世紀末にジュチの血を引くシャイバーン家のイバクIbakが,13世紀以来西シベリアのイルティシ川中流域とトボル川下流域とを支配してきたタイブガTaybuga家と姻戚関係を結び,やがて統治の実権を握ったことに始まる。イルティシ川に臨むカシリクKashlik(シビル,イスケル。…

【住居】より

…特異な平面形をもつものとして,ポカラ周辺のグルン族の楕円形平面の住居がある。【藤井 明】
【シベリア,中央アジア】
 シベリアの自然環境を植物相から眺めると,北から南へツンドラ(永久凍土地帯),森林ツンドラ,タイガ(針葉樹林地帯),森林ステップ,ステップ(草原)地帯に大別される。そしてその南には,モンゴルや中央アジアの乾燥・半乾燥地帯がある。…

※「シベリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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