旺文社世界史事典 三訂版 「シャム」の解説
シャム
Siam
タイ族の南下以前は,モン族・クメール族が居住していた。タイ族は雲南地方から南下して,13世紀にスコータイ朝を北タイに建設し,カンボジアに栄えていたクメール王国の文化を吸収,また元朝と和親政策をとって中国文化を移入し,タイ文字(カンボジア文字を改良)を作成した。14世紀中ごろ,南タイにはアユタヤ朝が建設され,スコータイを合併。この王国時代はビルマ・カンボジアとの交戦や内乱が続いたが,文化も結実し,西欧諸国との交渉も活発であり,山田長政ら日本人も活躍した。1767年ビルマの侵入により滅亡。武将のひとりピヤ=タークシンがビルマ軍を撃退し,トンブリに都して王位についたが,晩年失政のために王位を追われ,1782年チャオプラヤー=チャクリ(ラーマ1世)が現在のチャクリ朝を開いてバンコクに都した。19世紀末期チュラロンコーン王(ラーマ5世)の改革により,近代国家への体制が整えられ,1932年の立憲革命で立憲王国となり,39年国際称号をタイと改めた(国内的には古くからタイといった)。1945年にシャムが国号として復活したが,49年にふたたび廃止されてタイとなり,今日に至っている。
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