改訂新版 世界大百科事典 「シュノイキスモス」の意味・わかりやすい解説
シュノイキスモス
synoikismos
〈集住〉を意味するギリシア語で,現実の移住があったかどうかにかかわりなく,〈村々に分かれて〉生活していたいくつかの村落共同体が一つの都市国家(ポリス)に結合することをいう。移住が実際に行われず,結合が主として政治的なものにとどまるような場合は,特にシュンポリテイアsympoliteia(ポリスを共通にすること)と呼ばれる。共同体成員の移住を伴った例はスパルタで,ラコニア地方を平定したスパルタ人は,前8世紀中葉スパルタに集住してヘイロータイとペリオイコイを支配するスパルタ人共同体を構成した。移住を伴わずにポリスを形成した例はアテナイで,アッティカにはミュケナイ時代には王政のもとにいくつかの村落共同体があったが,暗黒時代に王政は衰え,ほとんど独立の村落がいくつもあった時代に,貴族と平民の分化した段階で,村々の貴族層がアテナイに共同の評議会(アレオパゴス会議の前身だったであろう)を構成することによってポリスが成立したと推定される。それはミュケナイ時代の英雄テセウスの事業に帰せられたが,実際は暗黒時代を通じて独自の評議会や役人をもつに至った村落共同体が,貴族と平民の対立の中で,有力ポリスたるアテナイを中心として平等の立場で結合する長期にわたる一連の発展過程の末に成立したものであったに違いない。後世それは集住祭(シュノイキアsynoikia)または移住祭(メトイキアmetoikia)としてヘカトンバイオン月(今の7月半ばから8月半ばころ)の第16日に行われる祭典によって記念されたが,村落共同体の一般成員の大部分は従来通り田園の生活を続けた。ミュケナイ時代,ギリシア人の王国を象徴するものがアクロポリスにおける王宮であったのに対し,新たに成立した貴族政ポリスを象徴するものは,アクロポリスに建てられた守護神の神殿であった。アイトリアやアカルナニアのギリシア人は,古典期でも村々に分かれて生活していた。古典期の集住は,ポリス成立後の段階で,政治的・軍事的必要から一挙に行われたが,エリス,ロドス,メガロポリスがそれであった。
→ポリス
執筆者:太田 秀通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報