シュマルカルデン戦争(読み)シュマルカルデンせんそう(英語表記)Schmalkaldischer Krieg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュマルカルデン戦争」の意味・わかりやすい解説

シュマルカルデン戦争
シュマルカルデンせんそう
Schmalkaldischer Krieg

宗教改革時代のドイツにおいて,1546~47年プロテスタント諸侯帝国都市と神聖ローマ皇帝カルル5世との間で行われた戦争。プロテスタントが 30年の帝国議会で「アウクスブルク信条」を拒否されたことから,自衛のために翌年シュマルカルデン同盟を結成して皇帝と対抗したのでこう呼ばれる。 47年のミュールベルクの戦いで皇帝側が大勝し,シュマルカルデン同盟は事実上瓦解した。この戦争でエルンスト家のザクセンヨハン・フリードリヒは選帝侯位を奪われ,皇帝側に寝返ったアルベルト家のモーリッツ・フォン・ザクセンが選帝侯位を獲得した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シュマルカルデン戦争」の解説

シュマルカルデン戦争
シュマルカルデンせんそう

1546〜47年のドイツにおける最初の宗教戦争
ルター派の諸侯・帝国都市により1530年に結成されたシュマルカルデン同盟とカール5世率いるドイツ皇帝軍との間の戦争。1545年のトリエント公会議に同盟諸侯が出席しなかったことを口実に皇帝側からの武力行使で開戦したが,同盟間の不和もあって皇帝軍が勝利し,事実上シュマルカルデン同盟は崩壊した。

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世界大百科事典内のシュマルカルデン戦争の言及

【宗教改革】より

… 一方,領邦分立主義と結びつく政治的なプロテスタンティズムとカトリック陣営との敵対はますます深まり,トリエント公会議(1545‐63)の招集でカトリシズムの内的刷新と教皇権の復興(反宗教改革)が緒についたその翌年,皇帝は公会議への出席を拒んだドイツ・プロテスタントの武力弾圧に乗り出した。このシュマルカルデン戦争(1546‐47)は皇帝側の勝利に終わったが,それに乗じて皇帝の統治権を強化せんとするカール5世の野心は,52年に宗派をこえたドイツ諸侯の反撃にあい,むなしくついえ去った。失意の皇帝がネーデルラントに退いたのち,カールの弟フェルディナント1世が主宰するアウクスブルクの帝国議会で,ドイツの宗教問題に政治的な決着がつけられた。…

【シュマルカルデン同盟】より

…35年同盟関係が更新され,ヨーロッパ内の一大政治勢力になると,皇帝・旧教側はニュルンベルク同盟を締結して対抗の構えを示した。45年トリエント公会議の開催にあたり,新教派が公会議への参加を拒否したことを口実に,皇帝は新教派討伐のためにシュマルカルデン戦争を起こした。47年同盟は敗北し,瓦解させられた。…

※「シュマルカルデン戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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