改訂新版 世界大百科事典 「シーボルト台風」の意味・わかりやすい解説
シーボルト台風 (シーボルトたいふう)
日本の歴史の中で台風が登場してくるのは古くは文永11年(1274)と弘安4年(1281)の2度の蒙古襲来時が著名であるが,日本の歴史に残るもっとも強い台風といわれるのがこのシーボルト台風である。もちろんその頃にシーボルト台風と名付けられたのではなく,後の気象災害史家がそう呼んでいるだけである。この台風は文政11年8月9日(太陽暦で1828年9月17日)に九州の西側をかすめたものと思われ,蒙古襲来時の台風と近いコースであったかもしれない。有明海に高潮を起こし,1万人に及ぶ死者を出したと記録されている。P.F.B.vonシーボルトが1823年から長崎に来ていてこの台風を観測,長崎で気圧が952hPaに下がったと記録しており,これから推定すると,中心気圧は900hPaぐらいであったと思われる。シーボルトはこの年帰国しようとしており,荷物を積んだオランダ船コルネリス・ハウトマン号が大破し,積荷の中から伊能忠敬の《大日本沿海輿地全図》などが発見され,シーボルト事件が起こったのでシーボルト台風と呼ばれるようになった。
執筆者:中島 暢太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報