ジャーナリズム(英語表記)journalism

翻訳|journalism

デジタル大辞泉 「ジャーナリズム」の意味・読み・例文・類語

ジャーナリズム(journalism)

新聞・雑誌・ラジオテレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。また、その機関。
[類語]報道報知情報知らせ通信広報一報特報速報急報マスコミマスコミュニケーションニュース

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精選版 日本国語大辞典 「ジャーナリズム」の意味・読み・例文・類語

ジャーナリズム

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] journalism ) 新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど時事的な関心を主体とするマスコミュニケーションの媒体機関の総称。また、その世界で行なわれる活動。
    1. [初出の実例]「ジャアナリズムに迎合して、甘ったるい作品を書いてみようなどといふ考え」(出典:ダイヴィング(1934)〈舟橋聖一〉二)

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改訂新版 世界大百科事典 「ジャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

ジャーナリズム
journalism

日々に生起する社会的な事件や問題についてその様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。また,その作業をおこなう表現媒体をさしていう。歴史的には新聞や雑誌による報道・論評をつうじて果たされることが多かったので,転じて新聞・雑誌など定期刊行物を全体としてさす語として用いられることもある。ラテン語の,日々の刊行物をさす〈ディウルナdiurna〉に由来する。

表現思想活動としてのジャーナリズムは,印刷物,定期刊行物をつうじて政治・文化批判が展開されるなかで,その意義をあきらかにしてきた。活版印刷技術がヨーロッパ各地に普及した17世紀半ばごろから,イギリスでは政治と信仰をめぐる論争がさかんとなった。それぞれの立場の者はその主張を簡単な印刷物にして公開の場で論敵を倒し支持者をひろげようとしたのである。ジョン・ミルトンの《アレオパジティカ》(言論の自由論)も,こうした小冊子の一つであり,彼ら〈パンフレット書きpamphleteers〉のなかから18世紀にかけての有力な雑誌・新聞の主筆たちがそだっていった。ダニエル・デフォーやジョナサン・スウィフトも,そもそもは筆力さかんな時論家で,より多く,かつ深く人を動かそうと作家活動に仕事をひろげたものである。また,イギリス植民地であったアメリカ東部では,トマス・ペインのパンフレットなどが独立運動の理論的な根拠となったほか,ベンジャミン・フランクリンのような多彩な文筆家が新聞によって自由と連合の実現を呼びかけた。ジャーナリズムが欧米において〈第四階級The fourth estate〉と呼ばれるのは,近世の絶対王政のもとで貴族,僧侶,富豪の三部会がにぎっていた政治の実権に対して,市民の権利を要求したのが印刷物による言論だったからである。

 日本では,明治10年代の自由民権運動に呼応して民権派の新聞・雑誌が政治・社会批判をおこなったのが,ジャーナリズムの起りといえる。こののち,明治20年代の大日本帝国憲法体制の創成期にこれらの政治党派とは距離をおいた言論人独自の文筆活動がさかんとなった。この時期の思想界の花形だった徳富蘇峰は民友社をひきいて雑誌《国民之友》と《国民新聞》などにより思想の近代化を唱え,彼のいう〈平民主義〉に多くの青年たちを共鳴させた。また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。これに対抗した三宅雪嶺,志賀重昂らの政教社は,雑誌《日本人》によって陸羯南の新聞《日本》とともに〈国民主義〉を唱えた。《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。また黒岩涙香の《万朝報》や秋山定輔の《二六新報》は,それぞれに政・財界人のめかけ囲いを暴露したり,民営タバコのもうけがしらの私行をあばいたり,吉原の娼妓を解放したりなどしてセンセーショナルな紙面構成をはかり,廉価なこととあいまって大衆的な新聞となった。とくに《万朝報》の用紙がうす桃色だったこともあって赤新聞とさげすまれたが,これは既成体制の選良層が放ったものであった。

 前世紀末のアメリカでは,行政機構の腐敗や独占資本の権勢を公衆にむかって告発するマックレーキングmuckrakingという報道活動がおこなわれた。すきで悪臭ふんぷんたる堆肥をはねあげる,という意味の農夫のことばから呼ばれたこの活動に参加したマックレーカーたちのなかには,のちにリアリズムの長編作家となったシオドア・ドライザーやジャック・ロンドンがおり,アプトン・シンクレアのように生涯を独占資本主義とその文化を批判する作品活動にささげる筆者も生まれた。彼らの運動は世論にささえられ,20世紀はじめには厚生・労働面の社会立法がおこなわれ,また非人間性を問われた巨大財閥が文化事業などに寄付する慣習もはじまった。このほかマックレーカーの活動のなかから新聞の独占状態に対する批判も生まれ,彼らの社会活動は1930年代ニューディールに多くのジャーナリストや芸術家たちが参加する思想的な遺産となった。

 日本の新聞の政治批判が社会運動としてもっともたかまったのは,第1次世界大戦に先立つ1913年の大正政変の時期である。桂太郎内閣と元老山県有朋の軍備優先・民生無視の政策態度に対して,《時事新報》《朝日新聞》《万朝報》などの記者たちは,実業界代表とともに憲政擁護運動を展開し,桂内閣の退陣を実現して軍備拡張予算を一時的には食いとめた。この運動のさなかに雑誌《中央公論》は吉野作造の民本主義論を掲載し,編集長滝田樗陰はやがて新文学の旗手たちをもそだて,日本ファシズムに対する言論の最強力な対立者へと同誌が充実する素地をつくった。また,石橋湛山が《東洋経済新報》において反戦自由主義経済論をつらぬくにいたる契機も,この運動にあった。

 現代においてジャーナリズムの批判機能がもっともみごとに発揮されたのは,アメリカのベトナム戦争秘密文書公開とウォーターゲート事件であり,また日本の田中角栄首相の土地ころがし暴露であった。国防総省文書Pentagon Papers事件と呼ばれる第1の事件は,ベトナム戦争の経過の全容について国防総省が調査機関につくらせた膨大な報告書を《ニューヨーク・タイムズ》が紙面に掲載しはじめ,政府が裁判所に記事掲載差止めを提訴しているあいだに《ワシントン・ポスト》などの新聞もこの報告書を入手して,この宣戦布告なき参戦をいっせいに点検したことにはじまる事件である。言論の自由をさだめた憲法修正第1条に照らして新聞の文書公開は正当と判決され,各紙の記事がやがてアメリカ軍のベトナム撤兵つまり戦争終結を実現させた。第2の事件は首都のワシントン市ウォーターゲート地区にある民主党本部に盗聴設備をつけに入った犯人が,じつはリチャード・ニクソン大統領の命令によったものであることを《ワシントン・ポスト》が暴露した事件である。大統領執務室のテープが証拠となってニクソンは辞任した。

 田中金脈事件と呼ばれる日本の例は,与党自由民主党内に田中派という派閥を主宰する現職総理大臣が各省大臣や党幹事長を歴任するあいだに,国有地払下げの情報を先取りできたことから,土地の先物買いをし転売をかさねて政治資金などを得ていった経過を雑誌《文芸春秋》が長編ドキュメントとしたものである。特派員の打電を受けた諸外国の新聞が注目するなか,外国人記者団との会見で追及された田中角栄は首相を辞任した。

ジャーナリズム活動は必ずしも文章や活字によるとはかぎらない。19世紀フランスのルイ・ナポレオンを徹底的に風刺しつづけたオノレ・ドーミエの画業が代表するように,絵や歌による批評はいっそう感覚的で効果的なばあいがある。フィルムや電波,電子技術によるマス・コミュニケーションの発達した現代では,放送ジャーナリズム,映像ジャーナリズムなどが生まれてきている。そしてそれぞれ,事実の追求と批評の提示とにおいて各領域特有の方法論を深めている。文章表現のばあいにはすでに長編の報道文はルポルタージュ,報告文学と境を接している。たとえば明治時代の横山源之助らの労働現場の実態報告や篠田鉱造らの維新史聞書きなどは新しい表現形式をひらいたものであったし,ニューディール期のジョン・スタインベックらの作品は書斎で構想された小説にはまったくもとめられなかった迫力で読者の衝撃となった。映画との交流のなかで記録文学はいっそう多彩となり,ドキュメンタリーの手法が現代芸術の特性としてすぐれた作品群を生みつづけている。

 なかでも重要なのは,フォト・ジャーナリズムと略称されることの多い写真による報道批評活動である。一瞬の表情や情景を永遠にむけて定位する写真の特性は,すでに19世紀後半から歴史家や批評家たちに注目されていたが,第1次大戦前後から前衛的な芸術家たちが光と影の生みだす一見抽象的な画像の印象を追いもとめたとき,逆に人物の表情をとらえて深層の性格までを感じとらせるような即物性への注目が写真を現代に不可欠な表現手段とさせていった。とくに1920年代半ばに高感度原板が登場して以降は,ショット撮影を利しての写真報道雑誌がドイツとフランスであいついで刊行され,組写真によるストーリー的な提示もはじまった。その動向がイギリスを経由してアメリカに伝播するころ,日本でも名取洋之助の呼びかけで1933年日本工房が結成され,林達夫を顧問として木村伊兵衛がスナップショットによる世相と人物の描写を試行した。おなじ名取の第2次日本工房では人物,社会,伝統文化へと対象をひろげつつ日本のリアリズム写真を代表することとなる土門拳が活動を開始した。世界の写真界においては,36年にアンリ・カルティエ・ブレッソン,ロバート・キャパ,ダビッド・シーモアがマグナム写真集団Magnum Photosをつくって,すぐれた写真家たちの職業的な自立を実現している。雑誌などメディア企業の営利目的にともすれば侵されやすい表現者の権利を守る点でも,この集団は現代芸術の他領域にはるかにさきがけた国際的なはたらきをつづけている。日本ではおなじ36年にアメリカで創刊された《ライフ》の成功をまねて,朝日,毎日両新聞社などが刊行した写真雑誌やグラフ週刊誌が写真の効用を主導したために,写真の批評機能が社会的に確立するまでに多くの屈折を経ている。
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百科事典マイペディア 「ジャーナリズム」の意味・わかりやすい解説

ジャーナリズム

日刊を意味するラテン語diurnaに由来し,時事的な情報や意見をマス・メディアを通じて大衆に伝達する活動をいう。歴史的には新聞雑誌などの定期刊行物が中核的なメディアだが,現代ではラジオテレビジョンも中心的な役割を担っている。映画も含めた映像ジャーナリズムが現代ジャーナリズムの重要な一環となっている。

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世界大百科事典(旧版)内のジャーナリズムの言及

【虚報・誤報】より

…フィクションを現実のニュースとして提供するのと,善意,悪意を問わず,フィクションを混入するのとの違いではあるが,具体的事例にそくして,両者の間に境界線をひくことは難しく,ふつう日用語では誤報という用語で一括している。 ジャーナリズム史上著名な誤(虚)報としては,1835年8月,ニューヨークの大衆紙《サンSun》が,天文学者ハーシェルJohn Herschelの最新設備巨大望遠鏡による大発見と称して,月にコウモリ状(man‐bat)の生物がいるという続きものを連載した事件〈Moon Hoax〉があげられる。ニューヨーク各紙は争ってこれを転載,熱狂的ブームを巻き起こして《サン》の部数は急増(1万9000部で世界一と自称)する。…

【新聞】より


【定義】
 広い意味では,多数の人々に情報,意見などを伝達するマス・コミュニケーションmass communication(英語),プブリツィスティクPublizistik(ドイツ語)の全媒体をさす。英語のプレスやジャーナリズムに相当する概念である。狭い意味では,多数の読者のために刊行される,時事についての報道,解説,評論を主とした内容とする定期印刷物をいう。…

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