精選版 日本国語大辞典 「ジョクジャカルタ」の意味・読み・例文・類語
ジョクジャカルタ
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インドネシア、ジャワ島中部の都市。ジョクジャカルタ特別地域の中心都市。ジョグジャカルタYogyakartaともいう。人口約47万0800(2001推計)、42万7801(2018推計)。絶えず噴煙を吐くメラピ火山南麓(なんろく)の平野に位置する。ウィノンゴ、チョデなどの川が市を貫いて流れる。肥沃(ひよく)な平野の中にあって古くからヒンドゥー文化の中心として発達し、その落ち着いた雰囲気は日本の京都に比べられる。ボロブドゥール、プランバナンなどの世界的に有名な文化遺跡にも近い。18世紀以後マタラム王国の首都となり、市の南部はいまもスルタンの王宮(クラトン)で占められ、それを中心に各種の建物、従者の住宅が建ち並び、昔ながらの城下町のおもかげを残す。王宮前の広場の北西を占めるソノブドヨ博物館は中部ジャワの文化的遺産を展示する。また王宮のやや西に水の王宮(タマンサリ)の遺跡も残る。市はジャワ更紗(さらさ)(バティック)、銀細工、彫刻などの伝統工芸品生産で知られ、ガムラン音楽、ワヤン劇などの古典芸術も保存され、古都としての雰囲気に富む。独立戦争当時(1946~1949)、一時インドネシアの首都となった。学問的レベルの高い国立ガジャマダ大学をはじめ、国立イスラム研究所もあってジャワ学術の一中心をなしている。南方のイモギリにはマタラム王国歴代の廟(びょう)がある。
[別技篤彦]
16世紀末以来、ジャワ中東部を領したマタラム王国は、王位継承の争いと、これに乗ずるオランダ東インド会社に圧迫され、しだいに勢力を失ったが、1755年には、スラカルタ、ジョクジャカルタの東西二つの独立国に分けられ、西半部にはスルタン・ハメンクブオノSultan Hamengkubuwono Ⅰのジョクジャカルタ統治が始まった。両家の関係は、その後もしばらく緊張が続いたが、ジャワ戦争(1825~1830)以後、オランダ政府は両家の領地を削り、新たに境界線を定めて不和に終止符を打った。ジョクジャカルタのスルタン領は、スラカルタのスフーナン領とともに、その後も侯領地vorstenlandenとして間接統治が認められ、第二次世界大戦に及んだ。
[中村孝志]
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中部ジャワに位置する人口約40万の都市。マタラム王国の発祥の地。その後同王家から分立したスルタン王家とパクアラム王家の王都となり,今日も両王家が存在。スラカルタと並んで中部ジャワの政治,文化の中心地である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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