スティーブンソン

百科事典マイペディア 「スティーブンソン」の意味・わかりやすい解説

スティーブンソン

世界で初めて実用的な蒸気機関車製作した英国の技術者。炭坑夫の家に生まれ,初め炭坑で働くが,炭鉱主の依頼によって1814年,炭坑で使用するための蒸気機関車ブリュッヘル号を製作。以後改良に努め,1823年に機関車工場を設立,ここでロコモーション号を完成させると1825年,ストックトン〜ダーリントン間に世界初の旅客用の鉄道を開通させた。また,1829年,リバプール〜マンチェスター間の鉄道の開設(1830年)に先立って行われた蒸気機関車競走ではロケット号優勝,蒸気機関車の実用性を確立した。その後英国をはじめ,ベルギー,スペインなどで鉄道建設を指導。1847年創設の英国機械学会の初代会長。
→関連項目エリクソン蒸気機関車スティーブンソン

スティーブンソン

英国の技術者。世界で初めて旅客用鉄道を開設したG.スティーブンソンの子。1825年には父を助けてストックトン〜ダーリントン間の建設に携わり,1833年〜1838年にはロンドン〜バーミンガム間の建設を指導するなど鉄道の発達に貢献した。のち英国および諸外国の鉄道,鉄道橋を設計・建設し,特に橋梁(きょうりょう)工学の指導者として活躍し,1850年にはメナイ海峡ブリタニア橋,1859年にはカナダモントリオールセントローレンス川グレート・ビクトリア橋などを架設した。
→関連項目ロケット号

スティーブンソン

英国の作家エディンバラに生まれる。旅を愛し,紀行文《旅はロバを連れて》(1879年)などを書いたが,サモア島で病死小説に《宝島》(1883年),《ジキル博士とハイド氏》(1886年),《誘拐されて》(1886年)など。短編集《新アラビアン・ナイト》(1882年),詩集《童謡の花園》(1885年),また吉田松陰をも扱った評論《人と書物について》(1882年)も知られる。

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世界大百科事典 第2版 「スティーブンソン」の意味・わかりやすい解説

スティーブンソン【Robert Louis Stevenson】

1850‐94
イギリスの小説家。スコットランドのエジンバラで灯台技師の子として生まれた。幼少のときから病弱で,大学卒業後は転地療養のためヨーロッパ各地を放浪旅行し,その体験を紀行文やエッセーに書いた。フランスで年上の人妻ファニー・オズボーンを愛し,彼女を追って彼女の故国アメリカに渡り,異郷での病気と貧困の生活と闘い,ついに離婚した彼女と1880年に結婚した。その後イギリス,アメリカを転々とし,88年からヨットで太平洋の島々をめぐり,90年には南太平洋のサモア島に定住,島民から〈お話おじさん〉と呼ばれ,この地で44歳の短いが劇的な生涯を終えた。

スティーブンソン【George Stephenson】

1781‐1848
実用的な蒸気機関車を製作したイギリスの機械技術者。炭鉱火夫の子として生まれ,自分もキリングワース炭鉱のエンジン工となる。1813年に炭鉱主から蒸気機関車の製作を委託され,14年にブリュッヘル号の試運転に成功,また15年には坑内安全灯を発明した。23年に機関車製作工場を設立し,25年に同工場で製作したロコモーション号がストックトン~ダーリントン間において世界最初の旅客列車を牽引,さらに29年にはリバプール~マンチェスター間で行われた機関車コンクールへ息子R.スティーブンソンと製作したロケット号を出し,優勝した。

スティーブンソン【Adlai Ewing Stevenson】

1900‐65
アメリカの政治家。プリンストン大学卒業後,シカゴで弁護士を開業。第2次大戦中は海軍長官の補佐官を務める。国際連合の創設にかかわり,アメリカの国連代表団に加わる。48年イリノイ州知事に選ばれ,52年,56年と続けて民主党の大統領候補に指名されるが,共和党候補のアイゼンハワーに敗れる。マッカーシイズムの盛んな50年代前半の反主知主義的風潮の中にあって,知性的な言動でインテリの間では評判がよかったが,大衆的人気に欠けていた。

スティーブンソン【Robert Stephenson】

1803‐59
イギリスの鉄道,橋梁技術者。G.スティーブンソンのひとり息子。エジンバラ大学を卒業後父の鉄道建設を助け,ストックトン~ダーリントン線の詳細測量を行った。また1829年に彼の設計した多管式ボイラーの機関車ロケット号が,リバプール~マンチェスター間の機関車コンクールに優勝した。しかし彼の能力がもっとも発揮されたのは橋梁の設計,架橋においてであった。ニューカスル近郊のタイン川にかけられた鉄道用高架橋は,初期の有名な作品である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スティーブンソン」の意味・わかりやすい解説

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世界大百科事典内のスティーブンソンの言及

【蒸気機関車】より

…08年には公開実験も行われたが,当時のレールでは機関車の重さに耐えられず,トレビシックの考案は注目を浴びるまでには至らなかった。14年ころから蒸気機関車の研究と製作を進めていたG.スティーブンソンは,25年ストックトン~ダーリントン間に世界初の公共鉄道が開通したとき,彼の製作になるロコモーションLocomotion号を開業式当日自ら運転し,90tの列車を毎時16~19kmで運転してその実用性を世に示した。しかし蒸気機関車が馬車鉄道よりはるかに優れたものとして真に認められるようになったのは,これより4年後の29年,リバプールとマンチェスター間の鉄道開設時の懸賞運転で,G.スティーブンソンが息子のロバートとともに作ったロケットRocket号が他の2台の機関車を押さえて優勝し,その優れた性能が確認されてからである。…

【鉄道】より

…ほかにもW.マードックやブレンキンソップJohn Blenkinsop(1783‐1831)らが機関車を製作したが,歯車式を含めていずれも動力伝達方式に難点があった。これに対し,動輪のレールに対する粘着性に着目したG.スティーブンソンが,ピストンの往復運動を動輪に伝えて円運動に変える方式をとり,機関車はこれによって確実な実用化を保証された。 1825年9月27日開業のストックトン~ダーリントン間鉄道で,貨物列車の牽引用にスティーブンソンの製作したアクティブ(のちロコモーション)号が登場した。…

【ブリタニア橋】より

…1850年完成。R.スティーブンソンの設計で,鉄の技術に詳しいW.フェアベアンが実験に,数学者のホジキンソンEaton Hodgkinson(1789‐1861)が理論解析に協力した。錬鉄の板で組み立てた長方形断面の箱桁の内部を,あたかもトンネルのように列車が通るという特異な橋である。…

【ジキル博士とハイド氏】より

…イギリスの小説家R.L.スティーブンソン作の中編小説。1886年刊。…

【児童文学】より

… 空想の国へ子どもをさそうファンタジーは,C.キングズリーの《水の子》(1863)を経て,L.キャロルの《不思議の国のアリス(アリス物語)》(1865)でみごとな花をさかせた。少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》(1857),R.バランタインの《サンゴ島》(1857),ウィーダOuidaの《フランダースの犬》(1872),シューエルA.Sewellの《黒馬物語》(1877)のあとをうけて,R.L.スティーブンソンの《宝島》(1883)で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》(1869),G.マクドナルドの《北風のうしろの国》(1871),R.キップリングの《ジャングル・ブック》(1894),E.ネズビットの《砂の妖精》(1902),K.グレアムの《たのしい川べ》(1908),J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ(ピーター・パン)》(1911),W.デ・ラ・メアの《3びきのサル王子たち》(1910)にうけつがれ,ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》(1921)は空想と現実の美しい織物を織り上げた。…

【宝島】より

…イギリスの小説家R.L.スティーブンソンの長編小説。1883年刊。…

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