日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ストックホルム・アピール
すとっくほるむあぴーる
Stockholm Appeal
1950年3月ストックホルムで開かれた平和擁護世界大会(World Congress of Partisans of Peace)第3回常任委員会で採択され、世界の人々に署名を求めたアピールで、(1)原子兵器の無条件使用禁止、(2)原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現、(3)最初に原子兵器を使用した政府を人類に対する犯罪者とみなす――とのアピールを発表、これに対し全世界から5億の署名が寄せられた。この背景には前年9月のソ連の原爆保有声明と、これに対抗した50年1月の米トルーマン大統領の水爆製造命令など、当時の米ソを中心とした核軍備競争の拡大と、国際緊張の高まりという状況があった。同年11月常設されていた平和擁護世界大会委員会は世界平和評議会(World Peace Council)と名称を改め、その後51年2月のベルリン、53年6月のブダペスト、55年1月のウィーンと、核兵器の廃絶と話し合いの平和を柱とする全世界へのアピールを発表、50年代の世界平和運動の推進力となった。
[藤村瞬一]