百科事典マイペディア 「スパヌウォン」の意味・わかりやすい解説
スパヌウォン
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…これに対して,日本の敗戦直後に結成されたラオ・イッサラ(〈自由ラオス〉の意)は,45年10月ビエンチャンにラオス臨時政府を樹立した。この政府はフランス軍に押されて46年4月にタイへ移り,亡命政府となったが,閣僚の中にはのちに活躍するプーマやスパヌウォンがいた。一方,フランス側についたシー・サワン・ウォン王のルアンプラバン王国は,46年8月にフランスと協定を結んだ。…
※「スパヌウォン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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