スペイン自治右派連合(読み)スペインじちうはれんごう(その他表記)Confederación Española de Derechas Autónomas

改訂新版 世界大百科事典 「スペイン自治右派連合」の意味・わかりやすい解説

スペイン自治右派連合 (スペインじちうはれんごう)
Confederación Española de Derechas Autónomas

スペイン第二共和国時代(1931-36)最大の右翼政党。略称セダ(CEDA)。1933年3月,〈アクシオン・ポプラール〉と〈バレンシア地方右翼党〉を中心に結成された。党首ヒル・ロブレスJosé María Gil Robles。当初の目標は同年11月総選挙に際しての右翼の大連合であったが,共和制の容認をめぐり王党派が脱落。支持層は資本家,中小地主で,カトリックと私有財産擁護とを主張し,社会改革に反対した。選挙の勝利で第一党となったが,保守反動的性格を危険視した左翼勢力は,急進党中道内閣へのCEDA入閣に反発して34年10月,アストゥリアス,カタルニャ地方で蜂起した。ドイツのナチスの影響を受けた国家社会主義の主張に加え,社会改良を目ざすキリスト教社会主義をも主張し,党の性格規定において,ファシスト党かキリスト教民主党か,評価が分かれた。遵法主義に固執した党首の戦術のため,36年2月総選挙に敗れると,組織の主要部分がファランヘ党に吸収され解体した。
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世界大百科事典(旧版)内のスペイン自治右派連合の言及

【人民戦線】より

…35年10月に発覚した疑獄事件のために政府は窮地に陥り,事件に直接関与した急進党の信用は失墜した。一方,右派陣営の主要な勢力であったスペイン自治右派連合(CEDA)はアルカラ・サモラ大統領から政権の譲渡を拒否された。その結果,一般に〈人民戦線選挙〉と呼ばれる36年2月の総選挙へと政局が動いていった。…

【スペイン】より

…このような状況のなかで32年8月10日,またも軍事クーデタが企てられ,これは未遂に終わったが,政治改革への対応に関してスペインは依然19世紀にとどまっていたといえる。 33年11月の総選挙では,左派勢力が足並みの乱れを示したのに対して,右派勢力は諸政党,諸政治グループがスペイン自治右派連合(CEDA)を結成して勝利した。選挙後,CEDAの支援の下に,急進党を中心に成立した中道右派連立内閣は,前政権が推進した改革案を否定し,反革命ともいえる路線を打ち出した。…

※「スペイン自治右派連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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