精選版 日本国語大辞典 「スポーツ」の意味・読み・例文・類語
スポーツ
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
「スポーツは、自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である。生涯を通じて行われるスポーツは、豊かな生活と文化の向上に役立ち、人々にとって幸福を追求し健康で文化的な生活を営む上で不可欠なものである。
さらに、スポーツは、人々が自主的、自発的に行うことを通じて、望ましい社会の実現に貢献するという社会的価値を有する。」と日本体育協会(現、日本スポーツ協会)スポーツ憲章(昭和61年5月制定)第1条で、スポーツの意義と価値について述べている。これはアマチュア・スポーツについて定めたものであるが、スポーツについての一般論と受け止めることもできよう。
スポーツは、deporatare(ラテン語)、desporter(フランス語)、disport(英語)の語源的変遷が示すように、レクリエーション、娯楽の意に用いられた。15世紀ころ英語に浸透してdisport(u), sporteとなったが、やがて頭音が消失してsport(s)となった。19世紀には、ドイツ語、フランス語にも取り入れられ、現在は世界共通語として用いられている。なお、類語としてのアスレティックathleticsは、イギリスでは体育、陸上競技をさし、アメリカではスポーツ一般をさしている。
[鈴木良徳]
スポーツは人類のみがもつ文化であるが、その生成過程をみれば、闘争から生まれ、政治によって闘争の手段として利用される宿命をもっていることは歴史的に明らかな事実である。一方、宗教的行事として行われたものもあった。人間が地球上に現れたとき、スポーツがともにあった。スポーツの遺影を、古代オリエントの壁画、古代ギリシアの優れた彫刻や絵画、壺絵(つぼえ)などにみることができるが、それによって古くからホッケー、ボクシング、レスリングなどが行われていたことがわかる。スポーツの基礎が形づくられたのは、信仰とスポーツを祭典競技の形で結び付けた古代ギリシアにおいてであった。各地で行われていた守護神への祈りの祭典競技のうち、とくに古代オリンピア祭を典型的なものとしてあげることができる。ギリシア全土から都市国家の名誉と栄光とを担っての出場であった。優勝者の栄冠としては、オリーブや月桂樹(げっけいじゅ)の葉冠が与えられるにすぎなかったが、優勝して帰れば、年金などが用意されていて、精神的、物質的に最大級の待遇を受けた。こうした競技会は、ローマ時代になって、キリスト教が国教になるとともに消滅し、見るスポーツが盛んになった。ローマ市内のコロセウムでは剣闘士(グラディアトルgladiator)競技などが、キルクス・マクシムスでは戦車競走などが行われた。市民に見せるこれらの競技は戯技(ルードゥスludus)とよばれた。
ローマが滅亡し、中世に入ると、スポーツは王侯貴族から市民の間に広まった。代表的なものが、馬に乗った騎士が長槍(ながやり)で突き合うトーナメントで、騎士道精神が培われた。各種の狩猟や鷹(たか)狩も盛んに行われたが、一般に愛好されたのは、ジュ・ド・ポーム(テニスの原型)であった。ついでスール(一種のフットボール)が盛んになり、イギリスに渡って、やがてサッカーやラグビーへと発展していった。イギリスでは、16~17世紀にかけて、貴族階級の子弟にスポーツが奨励され、近代スポーツの多くが次々と成立し、やがて世界各地に普及していった。アメリカでは野球、バスケットボール、アメリカンフットボールが生まれているが、いずれもイギリスで生まれた各種スポーツを基本として、プレーを変えていったものである。競馬も盛んになり、1780年にダービーが始まっている。イギリスとまったくかかわりなく発展したスキーや柔道などは、数少ない例外といってよい。1896年近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催されて、スポーツはより国際的な広がりを示すとともに、従来、王侯貴族の手にあったスポーツは、経済・社会制度の発展とともに一般に広く普及するようになった。
日本では、国技とよばれる相撲(すもう)が神話時代にすでにあったことが、『日本書紀』の野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の力比べの伝説の記述などによって知ることができる。奈良時代には貴族の間で、鷹狩、競馬(くらべうま)、打毬(だきゅう)、蹴鞠(けまり)などが行われ、室町時代以降、剣術、柔術、弓術、槍(そう)術などが隆盛を極めた。江戸時代には、これらの武術は実戦的価値が失われたが、儒教の影響を強く受けて、武士道に基づく多くの流派が形成された。しかし、その多くは一部特権階級の間で行われていたもので、それはヨーロッパのそれと軌を一にしている。欧米の近代スポーツが輸入され、スポーツが一般大衆の間に普及したのは、明治時代に入ってからである。日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年(明治45)の第5回大会(ストックホルム)であった。
[鈴木良徳]
スポーツの組織化は古代ギリシアの祭典以後などの時代にも見られたが近代スポーツでは、まずイギリスで始められた。18世紀の前半にアスコットで始まる一連の競馬や、ボクシングなどがそれであるが、これらはプロフェッショナルなスポーツであった。当時、自馬で騎乗する者や、勝っても賞金を辞退したボクサーはジェントルマンとよばれて賞賛された。一方、町の競技会が盛んに行われるようになってくると、賞金目当てに渡り歩くセミプロが生まれ、余暇にスポーツをする者は、この人たちに荒らされる一方であった。この連中を締め出すために、ボート(漕艇(そうてい))、陸上競技、水泳競技などに組織化が図られてアマチュア・クラブが誕生し、スポーツ界に新しいくぎりがつけられた。
日本に近代スポーツが紹介されたのは、明治初期(1870年代)以後であるが、年代的に欧米各国に広まったのとそれほど開きがない。初めは大学や専門学校が窓口になっていたが、本格的組織化が図られたのは、1911年(明治44)当時の東京高等師範学校校長であった嘉納(かのう)治五郎のもとに、駐日フランス大使を通じ、近代オリンピックの創始者であるクーベルタンから、国際オリンピック委員会(IOC)委員就任の要請があったのがきっかけである。これを受けて嘉納は、1912年の第5回オリンピックへの日本参加を実現するため、大日本体育協会を設立させ、その趣旨に「都市と村落とに論なく、全国の青年をして皆悉(ことごと)く体育の実行に着手せしむる」とうたった。
現在、各国のアマチュア競技団体を国際的に統括する機関として、国際競技連盟(略称IFまたはISF)がある。さらに各国とも国内で行われるスポーツの団体を統括する団体がつくられている。これは国際総合競技会などのときその国を代表する。日本では日本体育協会がそれにあたる。また、IOC(国際オリンピック委員会)に加盟するのは、オリンピックで行われる競技団体だけで組織されたNOC(国内オリンピック委員会)である。日本の場合は、NOCが、日本体育協会の内部組織に含まれている。NOCは国内を統括し、IFはその競技のみを支配していて、両者間には上下の関係はないが、両団体を傘下にしているのがIOCである。プロスポーツではサッカー(アマチュアと同一組織体)、自転車、ボクシングなどがそれぞれ国際的な組織体をもっている。野球の場合には、実質上アメリカが主権を握っている。
[鈴木良徳]
すべてのスポーツは、形態上、アマチュア、プロフェッショナルに分けられる。競技種目からみればアマチュア・スポーツがもっとも多く、プロスポーツや賭け競技は興行的に成り立つかどうかが問題となるから、その種目は限られている。世界的にもっとも競技人口、ファンが多いのはサッカーで、陸上競技をはじめ競技スポーツは五十数種類を数える。ほかにギャンブルgambleとよばれ、日本では公営競技とよばれている、競輪、オートレース、競艇、競馬がある。
それぞれの種目は、陸上の競技(陸上競技、マラソンなど)、水上の競技(競泳、水球など)、球技、格闘競技、体操競技、冬季競技などに大別できよう。また、個人競技、団体競技などの区別もある。競技方法からみると、ユニフォームだけでできるもの(マラソンなど)、ボールだけを中心に試合するもの(サッカーなど)、ボールと用具(スティックなど)を使って行うもの(ホッケーなど)、自転車のように機材を使うもの、さらに、体操や軍人競技から発達した、馬(馬術競技など)や銃(射撃競技など)を媒体にするスポーツもある。
[鈴木良徳]
第二次世界大戦前の数年間、世界のスポーツは「見せるスポーツ」への動きが顕著になり始めたが、これは、アメリカ人の建国以来の気質がボクシング、野球、アメリカンフットボール、自動車レースなどのプロスポーツを盛んにしたことと、ナチスが国威を誇示しようとしてオリンピック(1936年のベルリン大会)に総力を結集して、見せるスポーツ化の見本を示したことがその傾向を強めた。この傾向は大戦で中断したが、戦後、オリンピックはますます豪壮になり、各種スポーツの世界選手権大会が世界の各都市で開催され、かつてないスポーツブームが生まれた。同時にプロスポーツは世界の寵児(ちょうじ)となり、見せるスポーツはマスコミの発達に支えられて、ますます隆盛となった。競技のレベルが向上し、勝つためには高度の技術を養成するための強化が必要となった。ソ連をはじめとする旧共産圏諸国がアマチュア・スポーツ界に華々しく登場し、ステート・アマの名をほしいままに競技会で活躍した。加えてアマチュア・スポーツの発生地イギリスの国技といわれたクリケット、テニス、アイスホッケー、卓球などまでプロ化に力を注ぐようになり、この傾向は世界各国に波及した。アマ、プロ共存の形をとるスポーツ団体も多くなった。サッカーではスペシャル・ライセンスプレーヤー、ノンプロ、アマチュアが共存し、卓球ではレジスタード・プロプレーヤーが生まれ、陸上やバレーボールなどにも競技者基金制度とよばれる賞金を受け取ることなどが公にされた。他方、競技大会の開催、競技会参加の費用は膨大となり、企業がスポンサーとなったいわゆる冠大会が1980年代には急激に増えた。コマーシャリズムを極度に排していたオリンピックでさえ、財源獲得のためにそれを許容している。またアマチュアであっても巨額の賞金が与えられるようになり、かつての古典的アマチュアリズムは影を潜め、競技会に参加するそうしたアマチュアと、身体づくりのためのアマチュアとの間に区別が生じた。アマチュアリズムの崩壊をめぐって多くの課題が今後に残されることになった。
[鈴木良徳]
スポーツは、身体活動を通して行うもののうち、とくに競争の形で行われる、いわゆる運動競技の形のものの総称としてとらえられるが、スポーツの語源で述べたように、かつては現代のレクリエーションの考え方と同じであった。その意味でスポーツこそが望ましいレクリエーションと考えられる。一方、マスコミの発達と結び付いて、見るスポーツ、読むスポーツとなって大衆娯楽の地位を築いた。また、技術革新や都市の近代化による人間疎外などの問題解決のためにも「やるスポーツ」の必要性が注目され、国や地方公共団体でも各種施設の拡充などの施策が講じられるようになった。わが国では、スポーツ振興法(1961)の制定、国民休暇村などのスポーツ施設の設置などに、その努力がみられるが、なお将来にむけて多くの課題が残されている。
[鈴木良徳]
『佐藤和兄著『スポーツ概論――スポーツの認識入門』(1963・明玄書房)』▽『日本体育協会編『スポーツ大百科』(1982・新東京出版)』▽『P・ワイス著、片岡暁夫訳『スポーツとはなにか』(1985・不昧堂出版)』▽『川本信正著『スポーツの現代史』(1976・大修館書店)』▽『B・ジレ著、近藤等訳『スポーツの歴史』(文庫クセジュ・白水社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(2014-10-1)
(2014-10-24)
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…女子の体育指導書が出るのは19世紀の前半であった。市民体育をうけて,19世紀に入るとイギリスのスポーツsport,ドイツのトゥルネンTurnen,北欧のギムナスティークGymnastik,東欧のソコルsokolなどという各国独自の名まえや目的や体系や活動組織をもった〈国民体育〉が形成された。世界の近代的な学校体育はこれをもとに形成され発足した。…
…学校の管理のもとでスポーツ,体操,遊戯,ダンスなどの身体運動を用いて,計画的に行われる教育活動をいう。教科,体育行事,特別教育活動の3領域からなる。…
※「スポーツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
固定翼機でありながら、垂直に離着陸できるアメリカ軍の主力輸送機V-22の愛称。主翼両端についたローターとエンジン部を、水平方向から垂直方向に動かすことで、ヘリコプターのような垂直離着陸やホバリング機能...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新