日本大百科全書(ニッポニカ) 「スリースウィ戦争」の意味・わかりやすい解説
スリースウィ戦争
すりーすうぃせんそう
Slesvigske krig デンマーク語
1848~50年、64年の二度にわたって行われた、デンマーク、ドイツ間の、公爵領スリースウィSlesvig(ドイツ語でシュレスウィヒSchleswig)をめぐる戦争。
スリースウィは元来デンマーク人の居住地域であったが、ドイツ文化化が時代とともに進み、19世紀なかばには南部地方と主要都市がドイツ語日常語地域と化した。ドイツ化現象を危惧(きぐ)した当地のデンマーク語住民とデンマーク王国の自由主義者は、王国とスリースウィとの合体、および共通自由憲法のもとにおける国民国家の建設を目ざした。それに対し、「シュレスウィヒ・ホルシュタイン主義」を標榜(ひょうぼう)し、デンマークからの分離を訴えるドイツ語住民が存在した。彼らは、ドイツ連邦内でデンマーク王が公爵を兼ねていたホルシュタイン公国とスリースウィとを合体させ、「両公国」をドイツ連邦に加盟させようとした。彼らの思想はドイツ内で支持を受け、ドイツ統一運動の一環に組み込まれていた。1848年3月、デンマークでは無血革命によって自由主義者の政権が誕生したが、それに対し「シュレスウィヒ・ホルシュタイン主義者」がキールに臨時政府を樹立して反抗、両者の武力抗争によりデンマーク、ドイツ間の第一次スリースウィ戦争に突入した。50年に列強の干渉で講和がなったが、いっさいは旧状に復した。しかし、その後スリースウィと王国との合体がかなわず、ふたたび自由主義者が政権を担当するに及んで、64年第二次スリースウィ戦争を招来した。敗北したデンマークは、スリースウィ、ホルシュタイン、ラウエンブルクの三公爵領を失った(1864年10月のウィーン条約)。
[村井誠人]