基本情報
正式名称=スロベニア共和国Republika Slovenija/Republic of Slovenia
面積=2万0273km2
人口(2010)=205万人
首都=リュブリャナLjubljana(日本との時差=-8時間)
主要言語=スロベニア語(公用語)
通貨=トラールTolar(2007年1月よりユーロEuro)
1991年6月にユーゴスラビアから独立した共和国。面積2万0251km2,人口198万5000(1992)。民族構成はスロベニア人90.5%クロアティア人2.9%,セルビア人2.2%首都はリュブリャナ。
北西のジューリ・アルプス南端が南東のディナル・アルプスへつらなる山がちの地形で,低地はわずかに東部のハンガリー盆地の一部とイストラ半島西側の頸部にあるだけである。イタリア,オーストリアとの国境近くには国内の最高峰トリグラフTriglav(2863m)をはじめ,シュクルラテツァ(2738m),ヤロベッツ(2643m)カニン(2585m)などがそびえ立つ。南部のカルスト(スロベニア語でクラス)地方には典型的なカルスト地形が発達し,世界第2のポストイナ鍾乳洞がある。気候は降雪を伴う長く寒い冬と爽快な夏の高地大陸性である。沿岸地方は穏やかな地中海性,東端は大陸性ステップである。おもな河川は,ジューリ・アルプスに源を発する旧ユーゴスラビア最長のサバ川,ドラバ川,ムーラ川,クルカ川などドナウ川に合流し黒海へ至るものがほとんどで,アドリア海へ流入するのはソチャ川などわずかしかない。氷河作用でできた湖が多く,ブレッド湖,ボヒン湖(国立公園)が観光地としてもよく知られている。針葉樹,広葉樹の森林が総面積の半分を占め,狩猟に適している。低地は草地や牧草地が多く牧畜が発達し,高地では果樹やブドウが栽培され,サバ川流域では良質のホップが多くとれる。地下資源としては褐炭,メタンガス,鉛,亜鉛,銀,水銀(国内の97%)など。スロベニアではとくに電気,化学,ゴム,製紙,金属加工,食品工業が盛んで,経済的にはユーゴスラビアで最も繁栄し,70%以上が非農業部門に就業。おもな都市と代表的な工場をあげるとリュブリャナのリトストロイ工作機械工場,マリボルのタム自動車工場,プトゥイ近くの国内最大のボリス・キドリッチ・アルミニウム工場,クラーニのイスクラ電気器具工場などが挙げられる。
かつてこの地にはイリュリア人やケルト人が先住し,やがてローマ帝国に編入されて,ノリクム州,パンノニア州の一部になった。南スラブ族のスロベニア人が移住してきたは6世紀で,7世紀の中ごろ,中欧にサモ公が築いたスラブ諸族連合国の一部となり,これは瓦解したのちスロベニア人の一部はカランタニア公国として独立した。だが8世紀末にはフランク王国に屈し,南スラブ諸族の最初の独立国は短命に終わったのである。スロベニア人は9世紀のカール大帝時代にキリスト教へ改宗した。10世紀,神聖ローマ帝国のオットー1世は折から中央へ侵出しつつあったマジャール人を防ぐため,ドナウ川からポー川に至る大カランタニア領を形成し,オットー2世がこれを東辺境領(後のオーストリア)とカランタニアに二分。11世紀カランタニア領内にもケルンテン,シュタイアーマルク,イストリア,クラインなど現在のスロベニアを成す辺境伯領が形成され,カランタニアから分裂する。しかし1278年ハプスブルク家はシュタイアーマルクを,1335年にはクラインをも併合。こうしてスロベニア人は第1次大戦まで,6世紀の長きにわたってオーストリア・ハプスブルク家の支配を受けることとなった。
中世を通じて農民は過酷な封建領主にしばしば抵抗し(1478,1515),1573年クロアティアのグーベツが指揮した農民反乱はこの地でも最大級のものとなったが,激しく鎮圧された。執拗なドイツ化政策に対しては,プロテスタントの聖職者トゥルバル(1508-86)がスロベニア語で最初の書物を出版して,スロベニア文学を確立。17世紀にはカトリック側から反宗教改革が展開されるが,彼らはよく言語を守り,民族意識を維持した。
ナポレオン時代にはイリュリア諸州として統治され(1803-14),おおいに近代化が進み,ブルジョア,プロレタリアート,学生層も生まれた。19世紀オーストリア時代を通じて,プレシェレン(1800-49),レフスティク(1831-87),ツァンカレ(1876-1918)らの文学者が,彼らの民族性に訴えて,これを民族独立の意識まで高めたといえよう。第1次世界大戦後,セルビア人クロアティア人スロベニア人王国に編入されたとき,スロベニア人の人口は100万で,このほかイタリアに50万,オーストリアに10万の同胞を残したが,第2次世界大戦後は国境線の大幅な変更に伴い,その大半がスロベニアに帰属した。
スロベニア人は7世紀に短命の国家を形成したことはあるが,常に他民族の支配下にあったといえよう。そのため万事に控え目であるといわれるが,他方,ローマ・カトリックとハプスブルク家というヨーロッパの聖俗界に君臨した二大勢力を通じて,中欧の高い文化も導入された。国内随一を誇る生活水準,教育の高さ,勤勉性は中世以降のそうした影響のあらわれである。国内は都市も農村も清潔でスイスを偲ばせる。結婚式や祭日に人々はヨーデルを歌い,ポルカを踊る。観光地としては,昔から知られている湖水地方やポルトロージ,ピランといった海岸の保養地,世界最大級のジャンプ台があるプラニッツァなどの山岳地,ポストイナ鍾乳洞,バロック建築が美しい主都リュブリャナの旧市街などがある。リュブリャナでは国際グラフィック・ビエンナーレが催され,第1回の浜口陽三をはじめ,日本の版画家もしばしば受賞している。大学はリュブリャナ,マリボルに,スロベニア科学芸術アカデミーはリュブリャナにある。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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