精選版 日本国語大辞典 「ズボン」の意味・読み・例文・類語
ズボン
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洋服での下体部を覆う、二またに分かれた筒状の表着を総称する日本語。
[石山 彰]
明確でないが、大別すると二説ある。(1)は、フランス語のジュポンjuponの転訛(てんか)語とする説(『広辞苑』『日本国語大辞典』『荒川・外来語辞典』など)。(2)は、擬声語ともいうべき「ずぼん」または「すぽん」という副詞からとする説である。(1)のジュポンというフランス語は元来、女性のペティコートの意味ではあっても、男性用のズボンの意味はない。なぜ、いつごろからこの説が流布するようになったかは不明で、このことから『日本国語大辞典』でも次の記述がみられる。「ペチコートの意味のフランス語juponが、なぜ現在の意味に用いられるようになったかは、はっきりしない」。ズボンという呼称は幕末から、当時のいわゆる「段袋(だんぶくろ)」(駄荷袋の音便)の俗称として使われた。段袋とは、大きな袋を意味すると同時に、洋服の太いズボンを意味している。こうしてズボンの語が初めて文献に登場するのは、片山淳之助(じゅんのすけ)(実は福沢諭吉)の『西洋衣食住』(1863)のなかの「ズボンつり」においてである。また、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『万国航海西洋道中膝栗毛(ひざくりげ)』(1871)には、「チョッキ」「マンテル」「沓(くつ)」「ズボン」と記されている。また同じころの『開化往来』にも「大褲(ももひき)(俗にズボンまたはたんぶくろ)」とある。こうしてズボンの語は明治初期に市民権を得たとみられる。
ところがやがて(2)の説を裏づける記述が現れた。落合直文(なおぶみ)編『言泉(ことばのいずみ)』(1912)で、これには「ずぼん、洋袴、幕末の頃(ころ)、幕臣大久保誠知といふ人これを穿(は)けば、ずぼんと言い初めたる語なりといふ。洋服の下部、足に穿(うが)つもの、形、股引(ももひき)に似たり」とある。(1)の説は単に発音が類似しているからという比較的単純な理由に基づく。これに対し(2)の「ずぼん(と)は、物が抜けたり、落ちこんだり、はずれたりなどするさまを表わす語」「すぽん(と)は、物がうまい具合に、一気に、抜けたり、はまったりなどするさま、また、その音を表わす語」(日本国語大辞典)と記されている。ズボンの意味を表す漢字としては、洋袴、細袴、股袴、下袴、袴服、穿袴などがあてられた。
いずれにせよ、ズボンに該当する英語は、一般にはトラウザーズtrousers, trowsers、アメリカではスラックスslacks(元来、ゆるいものの意)、パンツpants(パンタルーンpantaloonsの略)、フランス語ではパンタロンpantalonであり、わが国の洋装用語では、これらが入り交じってズボンを表す外来語として用いられている。
[石山 彰]
フランスの南部やスペインに残された後期旧石器時代の遺跡には、毛皮をまとった人物や、毛皮のズボンだけをつけた人物が描かれている。他方、エスキモーの毛皮の着衣からしても、ズボン形式の衣服の誕生は、少なくとも石器時代にさかのぼると推定される。中央アジアを原住地とした騎馬遊牧民族アーリア人は、紀元前2500~前2000年代から徐々に南下し始め、前7~前5世紀には黒海北部からメソポタミアに達した。その確実な証拠はカフカス地方の遺跡、とりわけスキタイ文化やペルシアの遺跡にみられる。もっとも有名なのは、ペルセポリスのダレイオス宮殿の遺跡(前6世紀ころ)や、さまざまなスキタイ人の遺物(前5世紀ころ)で、これらには明らかにズボン形式の着衣を特徴づけた、北方民族の姿がみごとに浮彫りされている。
古典古代に入ると、ギリシア人は、フリギア人やアマゾンの姿として、ズボンをはいた異邦人を描き、一方、ローマ人は「ブラーカエbracae(ズボンのこと)をはく野蛮人」として北方ゲルマン人を軽蔑(けいべつ)した。4世紀後半の民族大移動の開始とともに、北方系の衣服を特徴づけるズボン形式はユーラシア大陸の各地へと拡大していった。中国にみられる胡服(こふく)や日本の埴輪(はにわ)にみられる衣褌(きぬばかま)も、そうした歴史的現象の一環であり、他方、ヨーロッパでのローマ末期からビザンティン時代にかけての北方系衣服、つまりズボン形式の浸透もそうである。また、中世初期のイスラム教徒は、男女ともたっぷりしたズボンつまりシャルワールshalwarをはいている。こうして、やがて西洋中世の男子もズボン形式が一般となった。フランク人の男子は緩やかなズボンをブレーbraies、靴下をショースchaussesとよび、イギリスでは緩やかなズボンをブリッチズbreeches、靴下をホージズhosesとよんだ。
14~15世紀になって上着が短くなると、ショースやホージズが下体衣の中心となり、ぴったりしたタイツ状の脚衣が定着する。この形式は事実上17世紀なかばまで持続するが、その間の16世紀には、腰部から大腿(だいたい)部を覆うきわめて独特の脚衣が現れた。フランス語ではこれをオー・ド・ショースhaut-de-chausses、英語ではアッパー・ストックスupper stocksまたはトランク・ホージズtrunk hosesとよんだ。
17世紀の第3四半期には、男性にも一見スカート状の奇異なズボンが現れたが、フランス語ではこれをラングラーブrhingrave、英語ではペティコート・ブリッチズpetticoat breechesとよんだ。男性のズボンはその後、長上着の登場とともに一転して、ぴったりした半ズボンつまりキュロットculotteに変わり、以後18世紀末まで続いた。
今日のような長ズボンは、それまでの水夫や職人などの小市民が着けていたものをフランス革命時の過激共和派の人たちが用いたもので、このことから革命時の小市民や革命党員をサン・キュロットsans-culottes(半ズボンをはかない人々の意)と名づけたのは有名であるが、定着するのは19世紀も20~30年代になってからであり、さらに背広服が出現するのは19世紀もなかばのことである。
[石山 彰]
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…それまでの突く直刀から反りのある刀への変化も,前進しつつ切るための当然のくふうであり,半月刀ほどの反りはなくとも,日本刀にも反りが生じている。またズボンと筒袖の上着の普及は,騎乗の普及とともに伝播(でんぱ)し,ゲルマン人やケルト人はもちろん,中国人さえ胡服といって,それを受け入れた。ただ騎馬の出現の歴史的意味は,この程度のことにとどまるものではなかった。…
…胸当てつきのゆったりしたズボン。白,青の厚地デニムなど木綿で作られ,肩紐つき,脇留めの形が多い。…
※「ズボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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