精選版 日本国語大辞典 「ソシュール」の意味・読み・例文・類語
ソシュール
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[現代文化記号論の発展]
人間と文化を記号として解明しようとする現代文化記号論の理論モデルは構造言語学である。パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。…
…彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]
近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれるF.deソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリでA.メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。…
…ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。…
…人間的実存についてのこうした考えに立って彼は,《ヒューマニズムとテロル》(1947)や《意味と無意味》(1948)に集められた論文において,マルクス主義の歴史哲学や政治哲学に新たな照明を当て,それを決定論や全体主義から解放することによって,実存主義とマルクス主義の統合を図っている。
[中期の思想]
1940年代末に行われたソシュール言語学の批判的摂取がきっかけとなり,50年代に入るとその思想は〈構造主義〉といってもよい方向に新たな展開を見せる。初期の思想が言語以前の知覚経験を根源的なものと見,言語をその延長線上に位置づけていたのに対し,この時期には知覚経験そのものがすでに言語によって媒介されていると考えられ,そこにもラングとパロールの関係が探しもとめられることになる。…
…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…
…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソー,H.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…
…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…
…この日,アルプスの最高峰モン・ブランは,シャモニに住む水晶採りのジャック・バルマと医者のガブリエール・パカールによって初登頂された。この登頂にはスイスの学者H.B.deソシュールが大きく貢献している。ここに山登りそのものを目的とする〈登山〉という新しいスポーツが誕生した。…
…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソー,H.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…
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[近代的登山の発展]
近代的登山の幕開けとなったのはアルプスの最高峰モン・ブラン(4807m)登頂である。1760年,ジュネーブの自然科学者H.B.deソシュールはフランスのシャモニを訪れ,モン・ブランの初登頂者に賞金を出すことを提唱し,これにこたえ86年シャモニの医者M.G.パカールと案内人の水晶取りJ.バルマが登頂に成功した。ソシュール自身も翌年登頂している。…
…初登頂は1786年8月8日。スイス人地質学者H.B.deソシュールの賞金提供(1760)がきっかけで,地元シャモニの医師G.パカールと水晶採りのJ.バルマの両名によってフランス側からなされた。これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。…
※「ソシュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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