翻訳|Solomon
イスラエル・ユダ複合王国2代目の王。在位,前967年ころ-前928年ころ。ダビデの子。母はヘテ人ウリヤの妻であったバテシバ。幼名エデデヤ。預言者ナタンとその仲間に擁立され,異母兄アドニヤを退けて父の王位を継承,アドニヤ,軍の長ヨアブ,祭司アビヤタルなどを粛清して王権を確立した。ダビデが築いた大帝国を,北はユーフラテス川から南はガザまで支配した。帝国内にはメソポタミアをエジプトとアラビアに結ぶ国際通商路が縦貫していたため,莫大な関税収益をあげるとともに,エジプトとクエ(キリキア)とシリアを結ぶ仲介貿易や,フェニキア人の協力を得た紅海貿易にも従事した。アラビア半島南端のシバからは女王(シバの女王)が隊商を率いてエルサレムを訪問した。このように活発な商業活動によって巨富を集めたことから,〈ソロモンの栄華〉の伝説が生じた。しかし,ソロモンのはでな消費はこの莫大な収入をはるかに上回っていた。そこで,ソロモンはイスラエル全地を12の行政区に分割して徴税組織を整えただけではなく,民を強制労働に徴用した。その目的は,とくにエルサレムの宮殿と神殿の建築であった。このためにも,フェニキア人は技術者を派遣し,レバノンスギを送って協力した。しかし,20年がかりで宮殿と神殿の建築が終わったときに,フェニキアのツロ(テュロス)王ヒラムに借りた負債を支払えなくなったソロモンは,ガリラヤの町20を割譲しなければならなかった。また近隣諸国と友好条約を結んだ結果,エジプト王の娘など多数の外国の女を王妃に迎えた。彼は妻700人,側妻300人の大ハレムを所有していたと伝えられる。
40年続いた治世後半に,敵対的な王朝がエジプトに出現したことがきっかけとなって,支配下にあった近隣諸民族が次々と反旗をひるがえした。とくにダマスクスのアラム人の独立によって国際通商路の支配を失ったことは,ソロモンの商業活動にとって大きな打撃であった。北方諸部族もヤラベアムに率いられて反乱したが鎮圧された。しかし,ソロモンが死ぬと,彼らはダビデ家の支配を脱して北イスラエル王国を建てた。このような内外の敵に備えて,エルサレムやメギドに要塞が建てられた。しかし,何といってもソロモンが果たした最大の業績はエルサレム神殿の建築であった。この神殿によって古代イスラエルの伝統が後代に伝えられたからである。ソロモンは知者としても著名であったことから,彼を《箴言》や《伝道の書》などの著者とする伝承も生じた。
執筆者:石田 友雄
ソロモンの生涯の美術表現は,中世初期以降,旧約聖書写本挿絵などのなかに,〈ソロモンの戴冠〉〈ソロモンの審判〉〈シバの女王のソロモン訪問〉〈ソロモンにアドニヤの結婚を説くバテシバ〉などの諸場面が見いだされる。近世以後では,ピエロ・デラ・フランチェスカの《シバの女王とソロモン》(1452ころ)や,ラファエロのバチカン宮殿フレスコ画《ソロモンの審判》(1510ころ)などが知られる。このような物語図像のほかに,ひげをはやし,王冠をかぶり王笏を持つ単独像として表されたり(アミアン大聖堂西正面の彫刻,13世紀),イエス・キリストの祖先を示す列のなか(カハリエ・ジャーミーのモザイク,イスタンブール,14世紀)や,〈エッサイの根(樹)〉の図像のなかに描かれることもある。
執筆者:浅野 和生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。イスラエル(ヘブライ)王国第3代の王(在位前960ころ~前922ころ)。名は「平和に満ちた」の意。エルサレムに生まれ、父王ダビデの命によってその後継者となった。「知恵」に優れた王として知られ、『旧約聖書』のうち、雅歌、箴言(しんげん)など知恵文学は伝統的に彼に帰されてきた。また赤ん坊の所有を争った2人の女を裁いた有名な伝説は彼の知恵を強調している。即位後、反対派を抑圧する一方、対外平和に努め、王国の絶頂期を築いて、後世「ソロモンの栄華」とうたわれたが、それがイエス・キリストの時代の人々の記憶のなかにも残っていたことは「マタイ福音書(ふくいんしょ)6章」によっても知られる。宗教的には、フェニキアからの資材と技術によって精緻(せいち)を凝らしたヤーウェ神殿をエルサレムに建設し、「契約の箱(櫃(ひつ))」を安置して人心を一つにまとめる聖域を確立した。政治的には従来の部族制を無視して12の行政区域を設け、長官を派遣して徴税や賦役の事務にあたらせた。軍事面ではエジプトから馬と戦車を導入し、常備軍を設置したが、これは実戦のためよりも国力の誇示のためであった。また経済的には世界の交易の要地を占めて通行税を徴収したほか、エジプト、フェニキア、アラビアなどとの通商を盛んにし、造船所や製銅所をも建設して富を集めた。シバの女王の心を奪ったという伝説で知られるほど華美な宮廷、ハレムの生活とともに、美術、文学、音楽も発展したが、反面、徴兵、徴税、強制労働などによる民の疲弊は、死後王国が南北に分裂する原因ともなった。
[漆原隆一 2018年4月18日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
(在位前970頃~前931頃)
古代イスラエル王国の王。父ダヴィデ王の築いた国力をうけて通商を盛んにし,イェルサレムにヤハウェの神殿と宮殿の大建築工事を起こし,「ソロモンの栄華」をうたわれた。また知者として知られたが,人民は重税に苦しみ,死後国土は分裂した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…前1000年ころのことである。帝国の首都はエルサレムに定められ,ここにダビデの子ソロモンがヤハウェの神殿を建立した。これらの政治的展開を背景として,ヤハウェがダビデ家とエルサレムを永遠に選んで,イスラエルの支配者と首都に定めたという主張(〈ダビデ契約〉)が生じた。…
…ただし,この複合王国を代表する名称はイスラエルであった。そこで,サウルとダビデ,ソロモンが支配したイスラエル王国を〈統一イスラエル王国〉,ソロモンの死後ダビデ家の支配を脱して南のユダ王国と対立したイスラエル王国を〈北イスラエル王国〉と呼んで,両者を区別する。 前10世紀初頭に,ダビデは南方部族の中心都市ヘブロンから,南北複合王国の中間に位置するエルサレムに遷都し,そこへ王国成立前の部族同盟の象徴であった〈契約の箱〉を搬入して,イスラエルの神ヤハウェがエルサレムを選び,同時にダビデとその子孫を全イスラエルの支配者に選んだと主張した。…
… アムハラ族はエチオピアの支配層でもあって,誇り高い人々である。彼らはアクスム王国の子孫であり,故ハイレ・セラシエ皇帝はソロモン王とシバの女王の子孫と主張した。彼らは選ばれた民として4世紀にはキリスト教を受容した。…
…大きく南東隅に広い平たんなスペースをとって,イスラム教徒がハラム・アッシャリーフal‐Ḥaram al‐Sharīf(高貴なる聖所)と呼ぶ区域があり,ここに金色に輝く岩のドームとアクサー・モスクとがある。この区域はもとソロモンの建立した第一神殿,またバビロン捕囚後に再建された第二神殿があった場所で,モリヤMoriahの丘とも呼ばれた。ハラム・アッシャリーフを囲む東・南・西側の壁は,ヘロデ王時代以来のものと見られるが,その西壁(ハ・コテル・ハマーラウィー)には第一神殿の遺構があると考えられ,近代においてユダヤ教徒はこれを〈嘆きの壁〉として特に重要視するようになった。…
…シバ(サバ)は南アラビアに住んだ民族で,交易によって栄えた。《列王紀》上,第10章は,その国の女王がエルサレムにユダヤの王ソロモンを訪ねた逸話を記す。シバの女王はソロモンの名声を聞き,難問でその知恵を試そうとしたが彼はすべての問いに答えた。…
…知力・体力ともに人間より優れ,知識量,創作能力,労働の耐久力に関するさまざまな逸話がある。ただソロモンにだけは対抗できなかったとされ,そのためジンの害悪からの厄よけにソロモンの名を用いることがある。人間と居住空間を同じくし,いたずら好きで,時には人間を死にすら至らせる霊鬼であり,とくにその頭領がイブリースIblīs(サタンのひとり)だとして恐れるのが一般人のジン観である。…
…《ヨブ記》《伝道の書》とともに,旧約聖書の知恵文学に属する書物。《箴言》と《伝道の書》は,ソロモンの手になるものとされている。〈モーセ五書〉がモーセにより,《詩篇》がダビデによって書かれたとされるのと同様,知者として有名であったソロモン王に,これらの教訓が帰せられたのである。…
…事実,ダビデの王子たちは,王位継承争いと反乱を起こして次々に殺害された。最後に,ソロモンの養育係であったナタンは,年老いたダビデを説得してソロモンの王位継承を決定させた。【石田 友雄】。…
…ダビデの第3皇子アブサロムの反乱にユダ族も参加したが,反乱鎮圧後ダビデがユダ族優遇政策をとった結果,ユダ族のダビデ家支持はいよいよ強固になった。ソロモンはこの政策を継承して,ユダ族に免税特権を与えたらしい。前928年ころソロモンが死ぬと,北方諸部族はダビデ家に背いて北イスラエル王国を建てたが,ユダ族はダビデ家に従って南ユダ王国を守った。…
… 前13世紀末に,イスラエル人はカナンに侵入して〈約束の地〉に定着したが,前1000年ころ,ユダ族出身のダビデが王となり,シリア・パレスティナ全域にまたがる大帝国を建設し,エルサレムを首都に定めた。その子ソロモンが,エルサレムのシオンの丘に主の神殿を建立すると,主はダビデ家をイスラエルの支配者として選び,シオンを主の名を置く唯一の場所に定める約束をした,と理解された(〈ダビデ契約〉)。ここから,〈メシア〉(原義は〈即位に際して油を注がれた王〉)が,世の終りにダビデ家の子孫から現れるという期待と,エルサレム(シオン)を最も重要な聖地とする信仰が生じた。…
※「ソロモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新