タシケント(英語表記)Tashkent

翻訳|Tashkent

デジタル大辞泉 「タシケント」の意味・読み・例文・類語

タシケント(Tashkent)

ウズベキスタン共和国首都中央アジア最大の工業都市古来交通要衝人口、行政区214万(2001)。タシュケント

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精選版 日本国語大辞典 「タシケント」の意味・読み・例文・類語

タシケント

  1. ( Taskjent ) 中央アジア、ウズベキスタン共和国の首都。キルギス山脈西側のオアシス地帯、シルダリヤ中流域支流チルチク川の右岸にある。中央アジア最大の工業都市で、綿織物コンビナートがあり、ほかに機械・薬品・食品工業などがさかん。紀元前一~二世紀からの古都

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改訂新版 世界大百科事典 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント
Tashkent

中央アジアのオアシス都市で,ウズベキスタン共和国の首都。人口214万(2001)。タシュケントともよばれる。シル・ダリヤ中流右岸の支流チルチクChirchik河畔にある。シル・ダリヤ右岸一帯は古くから東西交易路上にあり,かつ北方の遊牧地帯と南方農耕地帯との境界でもあり,政治的・経済的な要地であった。タシケントもこの立地条件に由来して,交易による繁栄と複雑な政治的支配の変動を経験した。このオアシスの存在の確実な記録は6世紀に編纂された中国の正史《魏書》に〈者舌国〉と見えるのが最初で,これは当時のアーリヤ系住民の現地名チャーチChāchの音訳である。7世紀以降の突厥(とつくつ),カラ・ハーン朝などのトルコ族の進出による地域のトルコ化の結果,モンゴル支配下の13世紀ころからトルコ語で〈石の町〉を意味するタシケントと呼ばれるようになった。15世紀のティムール朝や16世紀のウズベク,カザフの交互の支配の後,18世紀末にはホーカンド・ハーン国の領域に入った。当時の人口は2万程度にしかすぎなかったが,19世紀後半のロシアの占領以降,その中央アジア経営の拠点として拡張が進み,共和国の成立以降は繊維機械工業をはじめ工業も盛んとなり,文化面でも総合大学,博物館などを擁し,旧ソ連邦で有数の大都市に発展した。
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百科事典マイペディア 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント

ウズベキスタンの首都。タシュケントとも。シル・ダリヤ中流の支流チルチク川河谷にあり,各種機械,電線,織物,食品などの工業が行われる。1966年震災を受けたが,急速に復興。古来東西交通の要衝であるとともに,遊牧地帯(北方)と農耕地帯(南方)の境界地帯に立地するため,交易による繁栄を示した一方,政治的被支配の歴史は複雑である。中国文献では者舌国,石国などと記された。トルコ族,ティムール,ウズベク,カザフなどの支配を経て,ホーカンド・ハーン国領のとき,1865年ロシア領となり,トルキスタン省の省都とされた。大学(1920年創立),ウズベク科学アカデミーがある。222万700人(2009)。
→関連項目ウズベキスタン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タシケント」の解説

タシケント
Tashkent

ウズベキスタン共和国の首都。シル川の支流チルチク(Chirchik)河畔にあり,古来交通・商業上の要地。唐代には石国(せきこく)と呼ばれた。

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