タシケント(読み)たしけんと(英語表記)Ташкент/Tashkent

精選版 日本国語大辞典 「タシケント」の意味・読み・例文・類語

タシケント

(Taskjent) 中央アジアウズベキスタン共和国首都。キルギス山脈西側のオアシス地帯、シルダリヤ中流域支流チルチク川の右岸にある。中央アジア最大の工業都市で、綿織物コンビナートがあり、ほかに機械・薬品・食品工業などがさかん。紀元前一~二世紀からの古都

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デジタル大辞泉 「タシケント」の意味・読み・例文・類語

タシケント(Tashkent)

ウズベキスタン共和国の首都。中央アジア最大の工業都市。古来交通要衝人口行政区214万(2001)。タシュケント

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント
たしけんと
Ташкент/Tashkent

中央アジア、ウズベキスタン共和国の首都、同共和国タシケント州州都。タシュケントともいう。天山山脈の北西麓(ろく)のオアシスにあり、標高430メートル、シルダリヤ支流チルチク川に沿う。人口214万2700(1999)、250万9969(2019推計)。

[山下脩二]

地誌

旧ソ連時代はモスクワレニングラード(現、サンクト・ペテルブルグ)、キエフ(現、キーウ)に次ぐ第四の大都市で、独立後も中央アジアにおける経済、文化の中心地である。歴史的にも交通の要地であったが、いまもモスクワ、トビリシジョージア)、ニュー・デリー(インド)など内外への空路があり、天山山中への自動車道の起点ともなっている。鉄道はアシガバート、オレンブルグ両鉄道のほか、2支線が通っている。ソビエト時代になってから工業が著しく発達し、現在では中央アジア最大の工業都市となっている。おもな工業は、重工業では大型農機具、織機、コンプレッサー、ケーブル、起重機などの機械製造業である。また軽工業では最大級の綿織物コンビナートがあるほか、家具、紙、陶器、薬品化学、食品(酒類、缶詰、菓子類、食肉)、履物製造、電気機器製造などがある。動力源はタシケント火力発電所のほか、周辺のチルチク・ボズスーやファルハドの水力発電所である。ジャルカクやガズリの天然ガスがパイプラインによりタシケントに送られている。かつてはロシア植民地時代の貧しい旧市街(西部)とロシア人の住むヨーロッパ風の新市街(東部)に分けられていたが、1966年4月26日の大地震で日干しれんが造の家の並ぶ旧市街は壊滅した。しかしその後の復興は目覚ましく、また新しい都市計画による再開発も功を奏し、新旧市街の区別は解消している。学問、芸術の中心地で、図書館、民族歴史博物館、オペラ・人形芝居・バレエなどの劇場、コンサートホール、映画館、サーカス、11の公園など多数の文化施設がある。またこの地の新聞は、ロシア語、ウズベク語、タジク語の3種が発行されている。1958年にアジア・アフリカ作家会議、1966年にはインド・パキスタン停戦交渉が開かれた。

 タシケント州は面積1万5600平方キロメートル、住民はウズベク人とロシア人が多数を占めるが、カザフ人、ウクライナ人、タジク人など、多くの民族が住んでいる。

[山下脩二]

歴史

中国の『魏書(ぎしょ)』に「者舌(しゃぜつ)国」とあるのが最古の記録で、隋(ずい)・唐(とう)時代(6~10世紀)に中央アジアに君臨した西突厥(にしとっけつ)の領内にあった「赭時(しゃじ)国」「拓支(たくし)国」「石(せき)国」などの名は「者舌」とともにチャーチ(転じてシャーシ)の音訳であり、このオアシスを中心とする都市国家の呼称である。13世紀ごろから、この都市はタシケント(トルコ語で「石の都市」の意)とよばれるようになった。唐代の石国というのもタシケントの訳語にあたる。タシケントは古代はイラン系民族の住地で、7世紀からトルコ人(西突厥)の勢力下に入り、この地を訪れた玄奘(げんじょう)の『大唐西域記』にも記録されている。10世紀にはサーマーン朝、カラ・ハン朝の領域に入って、しだいにトルコ・イスラム化し、13、14世紀にはチャガタイ・ハン国領、15世紀にはティームール帝国領となり、以後、タシケントの都市名が定着し、明(みん)朝では「達失干」と書かれた。16世紀以降、オイラート人、ウズベク人、カザフ人の争奪地となり、18世紀後半にはカザフ人を撃退したコーカンド・ハン国領となった。このころ、タシケントは商業の要地となり、ロシア人、カザフ人、コーカンド人が物資を集散した。19世紀後半、帝政ロシアに征服され、シルダリヤ中流域の行政・経済の中心となった。

[佐口 透]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント
Tashkent

ウズベキスタンの首都。またタシケント州の州都で,中央アジアの中心地。チャトカリスキー山脈の西,シルダリア支流チルチク川の右岸,標高 450~480mの地にある。市の起源は前2~1世紀にさかのぼると考えられ,古来ジャジ,チャチケント,シャシケント,ビンケントなどの名で知られてきた。現市名は 11世紀頃より使われ,ウズベク語で「石の町」を意味する。ヨーロッパとオリエントを結ぶ通商路上の交易・手工業中心地として栄えていたが,8世紀アラブ人に,13世紀初めモンゴル人に征服され,チムール帝国,シャイバーニー朝の支配を経て,19世紀初めコカンド・ハン国領,そして 1865年ロシア領に入った。以後ロシア領トルキスタンの行政中心地となり,旧市街のそばに新市街がつくられ,発展した。革命後トルキスタン自治共和国の首都となり,1930年ウズベク=ソビエト社会主義共和国の首都となった。 1966年4月大地震に見舞われ,大損害を受けたが,当時のソビエト連邦各地からの援助により急速に復興し,近代的な大都市に変貌した。 1991年独立したウズベキスタンの首都となる。繊維コンビナートがあるほか,農業機械,電気ケーブル,掘削機,繊維機械,コンプレッサ,ベアリング,ガス器具などを製造する機械・器具工業が発達し,化学 (医薬品,染料) ,食品などの工業も盛んである。また中央アジアの文化,研究,学術の中心として,タシケント大学 (1920) をはじめとする多数の大学,科学アカデミーの各種研究所,ナボイオペラ・バレエ劇場,その他の劇場,ウズベク民族・歴史博物館,ナボイ図書館などがある。中央アジアの交通の中心地で,各地と鉄道,ハイウェーで結ばれるほか,パキスタン,インド,アフガニスタンなど南アジアと空路で連絡する。市内には中央アジアで初めてつくられた地下鉄がある。 15,16世紀のイスラム建築物が残っており,バラクハン・イスラム教学院は中央アジア・カザフスタン・イスラム教本部となっている。人口 195万9190(2007)。

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改訂新版 世界大百科事典 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント
Tashkent

中央アジアのオアシス都市で,ウズベキスタン共和国の首都。人口214万(2001)。タシュケントともよばれる。シル・ダリヤ中流右岸の支流チルチクChirchik河畔にある。シル・ダリヤ右岸一帯は古くから東西交易路上にあり,かつ北方の遊牧地帯と南方農耕地帯との境界でもあり,政治的・経済的な要地であった。タシケントもこの立地条件に由来して,交易による繁栄と複雑な政治的支配の変動を経験した。このオアシスの存在の確実な記録は6世紀に編纂された中国の正史《魏書》に〈者舌国〉と見えるのが最初で,これは当時のアーリヤ系住民の現地名チャーチChāchの音訳である。7世紀以降の突厥(とつくつ),カラ・ハーン朝などのトルコ族の進出による地域のトルコ化の結果,モンゴル支配下の13世紀ころからトルコ語で〈石の町〉を意味するタシケントと呼ばれるようになった。15世紀のティムール朝や16世紀のウズベク,カザフの交互の支配の後,18世紀末にはホーカンド・ハーン国の領域に入った。当時の人口は2万程度にしかすぎなかったが,19世紀後半のロシアの占領以降,その中央アジア経営の拠点として拡張が進み,共和国の成立以降は繊維・機械工業をはじめ工業も盛んとなり,文化面でも総合大学,博物館などを擁し,旧ソ連邦で有数の大都市に発展した。
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百科事典マイペディア 「タシケント」の意味・わかりやすい解説

タシケント

ウズベキスタンの首都。タシュケントとも。シル・ダリヤ中流の支流チルチク川河谷にあり,各種機械,電線,織物,食品などの工業が行われる。1966年震災を受けたが,急速に復興。古来東西交通の要衝であるとともに,遊牧地帯(北方)と農耕地帯(南方)の境界地帯に立地するため,交易による繁栄を示した一方,政治的被支配の歴史は複雑である。中国文献では者舌国,石国などと記された。トルコ族,ティムール,ウズベク,カザフなどの支配を経て,ホーカンド・ハーン国領のとき,1865年ロシア領となり,トルキスタン省の省都とされた。大学(1920年創立),ウズベク科学アカデミーがある。222万700人(2009)。
→関連項目ウズベキスタン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タシケント」の解説

タシケント
Tashkent

ウズベキスタン共和国の首都。シル川の支流チルチク(Chirchik)河畔にあり,古来交通・商業上の要地。唐代には石国(せきこく)と呼ばれた。

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