精選版 日本国語大辞典 「タブリーズ」の意味・読み・例文・類語
タブリーズ
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イラン北西部、東アゼルバイジャン州の州都。サハンド山の山麓(さんろく)、標高1362メートルの高地に位置する。人口119万1043(1996)、155万8693(2016センサス)。年降水量は285ミリメートル、冬は寒く降雪をみるが、夏はしのぎやすい。テヘランの北西628キロメートル、イランとアナトリア地方を結ぶ交通の要衝を占め、テヘランとアゼルバイジャン、アルメニアとの国境にあるジョルファを結ぶ鉄道が通じる。トルコ系住民が多く、アゼリーと称するトルコ系言語を話す。地震帯に位置するため何度も震災を受け、たとえば1042年には4万人が死亡したと伝えられている。また1866年にはコレラが流行し、10万人の死者を出した。じゅうたんの集散地として知られる。
[岡﨑正孝]
イランからアナトリア、ジョージア(グルジア)に通じる交通の要地にあったが、本格的に発展したのはイル・ハン国(1258~1353)の首都となってからである。ラシード・ウッディーン(1247?―1318)の建設した新市街だけでも、3万軒の家、24のキャラバンサライ(隊商宿)、1500軒の店があり、400人の法学者、神学者がいたという。商都であると同時に文化の中心地としての性格は、現在まで変わっていない。住民のトルコ化が進行したのも、セルジューク朝時代ではなく、イル・ハン国期であったと考えられる。アク・コユンル、カラ・コユンルの首都となり、カージャール朝(1779~1925)時代にはイラン最初の印刷所が置かれた。立憲革命期には反政府蜂起(ほうき)があり、運動の拠点となった。第二次世界大戦後、東アゼルバイジャン州の州都となり、イランの主要都市の一つとして現在に至っている。
[清水宏祐]
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イラン北西部の都市。12世紀後半から重要都市として発展し,イル・ハン国,カラコユンル(黒羊朝),アクコユンル(白羊朝)の首都。サファヴィー朝も当初首都とした。カージャール朝時代には皇太子が封じられる副都とされ,軍などの近代化の先駆けの地となった。イラン立憲革命に際して立憲派のタブリーズ蜂起の舞台となり,重要な役割を果たした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…モンゴルは欧亜にまたがる大帝国を建てたが,モンゴルとヨーロッパが文化的に密接に接触した2ヵ所の都市があった。その1ヵ所はイル・ハーン国の主都であったペルシアのタブリーズであった。ここではイタリアを中心としたヨーロッパ諸国とのあいだに公式な交渉があり,各国の代表部が置かれ,しばしば使節が派遣された。…
※「タブリーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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